これから数回をかけて、夫婦別姓問題について考えてみようと思う。

 手始めにというか、参考のためにというか、まずは名字を巡る我が家の歴史と現状をお伝えして、導入に代えたい。

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 私の筆名である「佐川光晴」は、いわゆるペンネームではなくて本名だが、正確には旧姓である。

 つまり、我々夫婦は婚姻に際して妻の名字を名乗ることを選択し、その時から私の名前は「鈴木光晴」になった。

 こう書くと、「つまり養子に入ったわけね」と思う方もいるだろうが、そうではない。あくまで現行法に則り、夫婦どちらか一方の名字を選んで共通の名字とすべしとの規定に基づいて、私の「佐川」と、妻の「鈴木」を比べた結果、「鈴木」の方を選んだわけである(その理由についてはおいおい述べてゆきます)。

 以来、私は「鈴木光晴」となったが、今だにこの字面には違和感がある。ものすごく嫌だというわけではないが、こうして書いてみてもちっとも自分の名前だという気がしない。

 作家としてペンネームを立てる場合、架空の名前を自らに与えることで、実際の人生とは異なる立ち位置から創作に向かうことが可能になるのではないかと思う。

 ところが私の場合は、元になる名前が変わり、作家デビューに際して旧姓である「本名」を筆名としたわけだ。女性作家ならさほど珍しくはないが、男性作家では私のほかに丸谷才一氏を知るのみである。

 そのことが私にどのような影響を与えてきたのかも、この場を借りて考えてゆきたいと思っている。

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 埼玉県志木市は、東武東上線に加えて東京メトロ有楽町線と副都心線も乗り入れて、通勤にも便利な住みよい町である。

 駅前にはマルイとダイエーがあり、この数年マンションも次々建設されて、子供を持つ世帯が入居してくるために、小中学校の児童数も減っていない。

 こう書くとベッドタウンのようだが、古くからの住人も多く、江戸時代から続く旧家がいくつもある。

 妻の実家もそのうちの1つで、妻の父は地元の小中学校で校長を務めていたことから大変顔が広い。妻の母も、同じ町内の出身で、やはり小学校の教員をしていた。私の妻は彼らの一人娘である。