内閣官房や内閣府の各種特命委員会は、鳩山由紀夫首相のお膝元で政権の目玉となる政策を立案し、政治的求心力の源泉となるはず・・・。だが、政権交代後に新設された国家戦略室や行政刷新会議事務局など少数の例外を除くと、大半が前政権からそのままの形で温存されている。政策変更の指示もほとんどないまま、いわば「デフォルト」状態で自民党政権時代からの政策を続けているのだ。その「怪しさ」の源を「地域活性化統合事務局」を例に解き明かしてみる。

 その組織は国会図書館のそばにある。古びたビルの古色蒼然としたエレベーターで上ると、6階と7階に都心の喧騒とは懸け離れたオフィスが見つかる。30名ほどの職員のうち、事務局長は旧建設省、局長代理は財務省、3人いる常勤の次長は旧建設省1人と経済産業省2人。参事官クラスは仲良く各府省出向者が揃い踏み。昔ながらの典型的な、オール霞が関相乗りの内閣官房の組織である。

 その名称は「地域活性化統合事務局」。2008年2月に発足し、地域活性化の政策を一元的に取り扱っている。この事務局が新設されるまでの経緯は実に興味深い。

霞が関の「知恵」、首相のお膝元で仲良く調整(参考写真、中野哲也撮影)

 従来、地域活性化については都市再生本部、構造改革特別区域推進本部、地域再生本部、中心市街地活性化本部――という似たような4つの本部が乱立していた。経産省や旧建設省がその時々の「政策の1丁目1番地」として旗を振り、各省による予算争奪合戦の挙句、内閣官房に相乗りのための組織がつくられる結果となった。権限と予算を争った後は内閣官房や内閣府に本部をつくり、首相のお膝元で仲良く調整・・・。それが霞が関の伝統的な「知恵」である。

 しかし内閣官房に4つもつくられた地域活性化関連の本部は、相互関係が外から見てあまりにも分かりにくい。このため、2007年10月に「地域活性化統合事務局」として一本化を図ることになった。4本部の会合は「地域活性化統合本部会合」として可能な限り合同で開かれ、4本部の事務局が1つにまとめられた。

実は「縦割り」温存のための組織

 「地域活性化統合事務局」の設置は、地域活性化関係の国の施策の一元化のため――。そういう説明を聞くと、いかにも行政改革のフロントランナーのように感じられるが、実態はそうでもないようだ。

 2010年1月下旬に事務局が公表した、地域活性化に関する2009年度2次補正予算と施策を見ると、各省庁の旧態依然とした縦割りが歴然になる。

 地域活性化は、どの役所が担当しようと本来は地域住民にとっては関係ないはずだが、各施策と予算額には所管官庁名が項目ごとに律儀に書いてある。この2次補正予算で創設された「地域活性化・きめ細かな臨時交付金」5000億円も、担当こそ内閣府の地域活性化推進担当室だが、実際の支出は各府省の予算に移し変えて執行されるという相変わらずの縦割りぶりなのだ。

 地方のために一元化を目指した施策の予算支出が、実施段階では各府省に移し変えられてしまう。事業官庁別の縦割り予算の温存策かと勘繰りたくなるが、この「業界」では一般的な仕組みのようだ。