宮城県が12月になって、東日本大震災で被災した漁港の復興計画を示した。県内に142ある漁港のうち60港を拠点漁港として優先的に復旧し、水産加工や流通の機能を集約化するという。
2013年度までに整備するというから、拠点港に選ばれたところにとっては、復興のめどが見えたということだろう。一方、選からもれた地域の漁民は、どう生き残るか厳しい選択を迫られることになるだろう。
「すべて元通りの漁港に戻す」のは現実的に困難
宮城県では、村井嘉浩県知事が提案した「水産特区」を巡り、県漁協が「知事提案は漁民の切り捨てだ」と猛反発したところだけに、知事は「選ばれなかった漁港も最低限の整備はする。漁民を切り捨てるわけではない」と、懸命に説明していた。
それでもメディアの中には、「切り捨てられる漁民」の声を求めて、集約化で取り残される地域を回ったところもある。
しかし、集約化が避けられないということを一番よく理解しているのは漁民だろうし、集約化のコストとベネフィットとをよく考えずに、すべての漁港を元のように整備することは財政的にも、地域の経済にも得策とは言えない。
日本の沿岸部を見ると、三陸海岸に限らず、文字通り津々浦々に漁港が整備されている。こうした漁港が漁民の生活基盤になってきたことは確かだ。
だが、後継者難、水産資源の枯渇など沿岸漁業を取り巻く環境は厳しい。
立派な漁港はあるが漁業は衰弱している、というところが多いのは、水産庁の予算の3分の1を、こうした漁港整備に使い続け、持続可能な漁業への施策をないがしろにしてきた結果と見ることもできる。
そうした歴史を肌で感じている漁民からすれば、「すべて元通りの漁港に戻せ」という要求が困難であることは、百も承知ということになる。