ニッケイ新聞 2011年10月27、28日付 より 【エクアドル発=秋山郁美通信員】

 赤道直下にあるミタ・デル・ムンド(赤道記念公園)――そこから南5キロにある旧キト日本人学校の校舎からは、毎土曜の朝、のどかなラジオ体操の音楽が聞こえる。

 エクアドルの首都キトにある日本語補習校(根上宏校長)の生徒、親、講師が揃って運動をしている音だ。世界経済の変化にともない、移ろう現地の日本人事情の一端を、同学校の推移を通して聞いてみた。

日本のそれにも引けを取らない立派な校舎((写真撮影=秋山郁美エクアドル通信員、以下同じ)

 市内からは車で30分ほどの距離があるが、毎週8人の児童・生徒が通い、ラジオ体操の後は国語と算数を2時間ずつ勉強している。

 エクアドル在住の日本人は永住者161人、長期滞在者268人。そのうちキト周辺には66人の永住者と134人の長期滞在者がいる。

 世界的経済不況や、エクアドルの政策の影響か、日本企業の駐在員はここ数年で多数減少した。

 そのため「長期滞在者」を対象とする日本語補習校の児童・生徒も減ってしまい、日本政府の補助を受けられる最低人数7人をぎりぎりで上回るほどだ。

 しかし、8人が勉強するこの校舎は立派だ。レンガの色が温かい二階建ての校舎には、音楽室、図書室、ビデオ室にパソコン室などがあり、一般的な日本の校舎に見劣りしない。

 また外にはバスケットコートや舞台のある体育館、遊具のある中庭、広いグラウンド。各教室に掲げられた教育目標や掲示物が、エクアドルにいることを忘れて懐かしい気分にさせてくれる。

 校舎が建てられたのは1986年。前身のキト日本人学校が市内の一軒家からここへ移転した。
土地購入金額と建設費を合わせると約85万7千ドル。記念のプレートには36の出資企業名が彫られている。

ピークはバブル期の50人

 ピーク時の児童・生徒数は約50人。多かったのは校舎が移設された86年ごろから94年ごろまでで、日本の好景気と一致する。当時は世界各地で日本人学校が設立、校舎増設をしていた。

 90年を過ぎたころから徐々に生徒数は減少し、日本政府からの経費節減の働きかけもあって、2003年に児童・生徒数7人で閉校した。そのうち5人が日本からの派遣教師の子どもだった。

 その後は日本語補習校となり授業は土曜日の国語と算数のみ。教師の派遣もなくなった。子どもたちの声が聞こえなくなった体育館は、週に2回剣道教室に利用されている。

 「毎年駐在員の異動にやきもきします。なるべく子どもの多い人に駐在に来てほしい」と話すのは根上校長。自身の2人の息子と娘は日本語学校時代にこの校舎へ通った。

 24年の日本人学校の歴史で、永住者いわゆる「現地組」は30人足らず。

 日本人学校は日本の学校へ戻る目的で設立されるため、西語の授業が特別に設けられたほかは、日本のカリキュラムで行われていた。

 そのためエクアドルの教育省の認可は受けておらず、日本人学校を卒業し現地校への進学を希望しても、成績の証明が受け入れられなかった。

 根上校長の長男もこれで苦労し、「これに懲りて下の子は現地校に転校、3番目は最初から日本人学校に入れなかった」と言う。

 母語で学んでほしいが、現地で進学ができない、というのは日本でもブラジル学校の出身者でよくあるケースだ。

 現在補習校へ通う子どもたちは、ほとんどがアメリカンスクールなどのインターナショナルスクールに通っている。そのため、エクアドルへ残ったとしても大学はアメリカや日本へ進学することが多く、エクアドルに戻ってくることは少ないという。