前回のコラム「旅に出ない若者よ、明治の娘たちに負けているぞ」で、私は毎日新聞の記事を引用し、最近の学生が以前ほど留学を望んでいないというところから話を説き起こした。

 もちろん、私は新聞記事の内容を鵜呑みにしたわけではない。大学の教員をしている知人からも同様の感想を聞いていたため、その話を枕に私の留学経験に続いて、民俗学者・宮本常一が聞き書きした明治初期の若い女性たちの旅に及んだところで、ひとまず区切りとした。

 ところが、前回のコラムが公開された直後に、私はラジオで次のような見解を聞いた。

 残念なことに名前を覚えそこねたのだが、その男性コメンテーターは私が引用したのとほぼ同じ内容のニュースを取り上げて、実に噴飯ものだと憤っていた。

 彼によると、留学生数の減少は少子化の影響によって大学生の総数が減ったためであり、断じて学生の意欲が低下したためではない。

 また、企業側の都合により、大学3年生の夏休みから会社訪問が解禁されるようになった。そのせいで、日本企業に就職しようとする場合、留学が可能なのは大学2年生の夏休みからの1年間に限られてしまう。これでは、外国に興味があっても留学などしようがない。そうした社会の側からの制約を無視して、全てを学生の意欲のせいにしようとするのは悪しきデマゴギーである。

 私は自分が糾弾されているように感じて、車を運転しながら居たたまれなくなった。

 確かに私は学生数の減少など頭になかったし、会社訪問云々の諸事情についてもまるで考慮していなかった。その点で、私はラジオのコメンテーターが言うところの悪しきデマゴーグそのものだったのかもしれない。

 しかしながら、車で自宅に帰り、夜業で仕事をしながらあれこれ思い悩むうちに、私はやはりそう間違っていないのではないかと考え直した。

 以下、さらなる噴飯を買うことを承知で私なりの意見を述べてみたい。

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 その前に、と例によって話の腰を折って申し訳ないのだが、私が最初に「旅」を感じたのは小学3年生の時だった。

 少し前に、変速ギア付きの自転車を買ってもらい、私は得意になって団地の周辺を乗り回した。