前回はハノイで開かれた南シナ海に関するワークショップの模様について書いたが、今回は11月6日の中越国境地帯視察報告である。

 視察といっても何のことはない。外務省時代の旧友と車で片道3時間、ランソン省という中越国境の山岳地帯をぶらっと見てきただけだが、それはそれは興味深い旅となった。

1979年中越戦争

中越国境(ベトナム側、写真は筆者撮影、以下同じ)

 中越国境にこだわった理由は1979年に起きた中越戦争の現場をこの目で見たかったからだ。

 戦争勃発の直接の原因は、同年1月、大量虐殺による恐怖政治を行っていたポル・ポト政権の支配するカンボジアにベトナムが侵攻し、同政権を崩壊させたことだったと記憶する。

 当時ポル・ポトに肩入れしていた中国はベトナムの動きを「裏切り行為」と受け止め、56万の人民解放軍を対越国境の高地に集結させた。

中越国境のベトナム側にある市場で買い物をする女性たち

 さらに、2月17日には10万の兵力でベトナム北部に侵攻し、いわゆる「対越自衛反撃戦」を始めたのである。

 中国はランソンを1979年3月5日に占領したが、不思議にも党中央軍事委員会は翌6日に撤退命令を出し、3月16日までに中国軍はベトナム領から撤退を完了している。

 中国側は戦争勝利を盛んに宣伝したが、越側発表によれば、中国軍は戦死2万人、負傷4万人という惨憺たる状況だったらしい。

 今日ランソンの街は復興し、戦争の傷跡はほとんど見られない。

 しかし、国境のベトナム側には巨大な市場があり、正規には存在しないはずの偽「iPhone5」から生活日用品まで、中国から輸入(密輸?)したありとあらゆる商品が所狭しと並べられていた。