終戦直後の「空気」が封じ込められ、まるでタイムカプセルのような部屋が東京・有楽町にある。

引き出しの無い執務机マッカーサー「日本民族のエネルギーを垂直的拡大」歴史を刻み込むマッカーサーの椅子

 65年前、ここで戦勝国が敗戦国の復興計画を練り上げていた。部屋の主は、ダグラス・マッカーサー連合国総司令部(GHQ)総司令官。第一生命保険は本社の一角にその「執務室」を完璧に保存している。一般非公開だが、先に同社広報部の協力を得て取材した。

 1945年9月、GHQは「日本で最も新しく最も堅牢な建物」に目をつけて接収した。1938年完成の旧第一生命館は、当時の「国会議事堂と並ぶ大作」。鉄骨9650トン、鉄筋6500トン、花崗岩9500トンが注ぎ込まれ、防空設備を施した要塞のような造り。皇居に臨むため、戦時中は陸軍が高射砲を据え付けて「砦」としていた。(『DNタワー21(第一・農中ビル)』清水建設編・丸善)

 マッカーサーの執務室は予想外に質素であり、調度品は彼の愛したヨットの絵が目立つぐらい。象徴天皇制、財閥解体、婦人解放、労働者の権利確立、教育の民主化・・・。コーンパイプをくわえながら、ここで戦後日本の「グランドデザイン」を次々に描いていったのだろう。

 ところが、その机には引き出しが無い。几帳面なマッカーサーは「何事も即断即決」を身上とし、書類などを保存する必要性がなかった。また、ソ連や中国という共産主義勢力が台頭する中、日本の復興は「時間との戦い」でもあった。

 「正しい方向に向かえば、日本民族のエネルギーは水平的というよりも、垂直的に拡大できる。日本民族の才能が建設的チャンネルに注がれれば、悲惨な国家から威厳のある地位に移行することが可能だ」

 マッカーサーはこうした期待感を抱きながら、「即断即決」で占領政策を矢継ぎ早に打ち出した。恐らくは彼の予想以上に日本国民は潜在能力を発揮し、奇跡的な高度経済成長を成し遂げた。そして国際社会で「威厳のある地位」を得て、マッカーサーの予測が的中した。

政策課題は3区分、「緊急」「重要」「長期」

 しかし、バブル崩壊で日本経済の高成長に終止符が打たれた。同時に「即断即決」どころか、日本は「先送り」の時代に移行してしまった。

 世界史上でも類を見ない猛スピードの少子高齢化が予測されていながら、歴代政権は抜本的な構造改革を忌避してきた。雇用や教育といった戦後日本の土台が制度疲労を起こしているのに、対症療法で誤魔化していた。