日本を出国して、1年が経過した。

 東京の出版社で編集者をしていた頃は「キミはアグレッシブだね」と評されたこともあったが、思えば渡航3カ月目の中南米のベネズエラあたりから、娑婆っ気が落ちたというか、心も身体のリズムもゆるくなり、現実と夢の境界線が曖昧になり始めた。

 長期旅行者特有の無気力とも呼べる怠惰な雰囲気が、いつしか自分自身にも染みついていることに気がついたのである。

 野に放たれた犬のように各地を放浪したが、資金も尽きて帰国しなければならないという現実に直面し、洒落にならない不景気のどん底の中、私の先々への不安はおびただしいうねりのように心に押し寄せ、漬け物石を胸に抱いたような鬱然とした気持ちに見舞われる。

 胎児は母親の胎内で、出産の時、その絶対愛から引き裂かれ、現実というものに直面した瞬間、その不安に戦(おのの)いて泣くという。だが、夢や希望、無限の可能性を秘めた赤子の人生のスタートは祝福で満ちている。

 それにひきかえ、煩悩のおもむくがままに放蕩した独り者の中年男には、祝福も、明るい未来も待っているとも思えず、心は萎える。

 だが、物憂いの中で佇んでいても始まらないので、社会復帰のリハビリをかねて、最後の足掻きとも言えるタイの南の島にて、私は「沈没」を決め込むことにした。

南の孤島で開かれるレイブパーティーに2万人が集結

パンガン島に向かうポンポン船

 バンコクから深夜バスで南下し、7時間。タイの南に位置するクラビという街の埠頭から、パンガン島行きのポンポン船に乗り込んだ。船はすでに定員オーバーと思えるほどごった返し、タイ人や欧米人旅行者でひしめき合い、足の踏み場もない。

 パンガン島は小さな島だが、ここで月に1回開催される「フルムーンパーティー」というイベントは世界的に有名だ。この日に合わせて欧米の旅行者だけでなく、近隣のサムイ島、タオ島、クラビの街、そしてバンコクからも多くの人々が集まってくる。

 フルムーンパーティとは満月の夜に、この島のリンビーチという僅か長さ1キロメートルほどの浜で開催される月に1度のお祭りで、約2万人が集結する。白砂のビーチ沿いには屋台やオープンエアのバーがぎっしりと立ち並び、ビーチの近くの宿は、どこも満室という盛況ぶり。イベントが盛り上がる深夜には、夏の江ノ島海水浴場を凌ぐ人口密度となる。

パンガン島のビーチ

 西の空が暁に染まり、陽が没すると、ビーチは巨大スピーカーから流れるテクノサウンドの大音量が響きわたり、男も女もタイ人も白人もアジア人も入り乱れて踊って、飲んで、一服して、口説いて・・・、見ず知らずの者同士が酒を振る舞い合い、スモーキングを回して一会の情交を愉しむ。満月の下の幻惑。白砂青椰子の砂浜には一晩中、男女の歓喜の匂いと生命のエネルギーが倒錯する。