「本流トヨタ方式の土台にある哲学」について、「(その1)人間性尊重」「(その2)諸行無常」「(その3)共存共栄」「(その4)現地現物」という4項目に分けて説明しています。
「(その1)人間性尊重」の哲学には、次の8カ条があります。
(1)ありのままを受け入れ、持っている能力を引き出し、存分に発揮してもらう
(2)会社都合で従業員を解雇しない
(3)家族の応援と職場のチームワークが活力の源
(4)人を責めずにやり方を攻めよ
(5)異動は一番優秀な人から
(6)3年経ったらサボれ
(7)偉い人が言ったから正しいのではない。正しいことを言った人が偉いのだ
(8)最後に決断を下し、全責任を取るのが上司の役目
これまでに、この中の(1)~(7)について話をしました。 今回は「(8)最後に決断を下し、全責任を取るのが上司の役目」についてお話しします。
「この戦争の責任者は私だ」
新政権になって、「補正予算執行停止」や「八ッ場ダム建設中止」が話題になっています。筆者は今までの体験から、「止める」という決断は「やる」という決断の10倍の勇気が要ると思っています。海や山での遭難のほとんどが、気象などの環境条件の変化を判断して「止める」勇気がなかったためと言われます。
「止める」勇気で思い起こされるのは、昭和天皇の敗戦処理です。
立憲君主制(君臨すれど統治せず)を目指していた昭和天皇は、何事も臣下の決定を追認する形を取っていました。太平洋戦は、その形で突入したと伝えられています。
しかし、戦争を終えるに当たっては、一部の反対を押し切って、連合軍に無条件降伏をする決定を下したのは昭和天皇でした。敗戦の玉音放送をしたのは昭和天皇自身の固い意思であったといいます。
その直後の9月27日、天皇自らが皇居からお堀を渡ってアメリカ大使館に出向いていき、戦争相手であった連合軍総司令官マッカーサー元帥と会談し、「この戦争の責任者は私だ、どのような処分も甘んじて受けるが、どうか日本国民の困窮を救ってほしい・・・」という旨を伝えたといいます。
「昭和天皇の勇気ある態度は私の魂まで震わした・・・」とマッカーサー回顧録にはあるようで、まさに劇的な会見だったようです。昭和天皇とマッカーサーが並んで写っている写真(「毎日jp」の参考記事)は有名です。