前回に続き、尾篭(びろう)な方面を少々・・・。

 私は神奈川県茅ケ崎市の団地で育った。約1万人が暮らす大規模な団地で、小学校のクラスメートはほぼ全員が団地の住人だった。

 団地と聞くと、画一的なイメージが浮かぶかもしれないが、それは違う。外観はたしかに平板だが、内部はアレンジが利くように工夫されていて、友達の家に遊びに行くたびに家具の置き方から生まれる雰囲気の違いに驚かされた。

 それはともかく、小学4年生のある日、私はいつものように友達の家に遊びに行った。野球盤に夢中になっていると、隣の部屋からなにやらおかしな気配が伝わってきた。他にも4~5人が遊びに来ていたので、なんだろうと思って見に行くと、スカートとパンツを脱いだ女の子の股のあいだを男の子たちが覗いている。

 その家の子がこちらを振り向き、「佐川はあっちに行ってろよ」と腕を振った。首を伸ばしても男の子たちの頭が邪魔になっていたし、女の子も脚を閉じてしまったので、私にはなにも見えなかった。私と一緒に野球盤をしていた友達は中に呼ばれて、ふてくされた私は玄関で靴を履き、団地の階段を駈け降りた。

 どうして私が拒まれたのかは分からない。あの時、幼い女性器と、それを見せる女の子の顔を目の当たりにしていたら、どんな風に感じただろうかと、私は今でも考えることがある。大げさかも知れないが、私の女性観はいくらか変わっていたに違いない。

 その少し後くらいから、私は団地の本屋で「週刊プレイボーイ」や「GORO」を立ち読みするようになった。子供心にも、女性たちの水着姿や裸体は魅力的で、私は周囲に誰もいないのを見計らってグラビアの頁を開いた。

 「少年ジャンプ」の漫画でも女の子が胸をあらわにしていたが、性行為は描かれていなかった。どおくまん作「嗚呼!! 花の応援団」にはやたらと性交の場面が出てきたが、大人向きの漫画で、ストーリーはめちゃくちゃだし、登場人物もことごとく粗暴で、画にも馴染めず、友達の家で一度読んだだけでやめてしまった。

 性教育も今ほど念入りではなかったため、私が女性器の形態や男女のまぐわいについて詳しく知ったのは大学生になってからだった。

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<性の知識において、もっとも重要なことは、自分の欲望の必然性に沿い、知るべきものを知るべきときに知っていくということであります。人生のあらゆることと同様、いや、性においてはとくに、知る時期というものが大切なのです。性の科学は、そういう個々人の主体性ということを忘れています。性欲のあまり自覚されない時期に、性についてすべてを知ったところでなんの利益もありますまい。むしろ害があるだけです。>

       福田恆存 『私の幸福論』「十二 ふたたび性について」

 前回に続いて福田恆存に登場してもらったが、ずっと後にこの文章を呼んだとき、私は本当に助かったと思った。そして、冒頭に述べた団地での一件が頭に甦ったわけだが、続いてもう1人の作家の発言を思い出した。