標題のようなことを言うと、我ながら自虐趣味かと思う。自分に自信がないヤツほど、ヒトが自分をどう思うか気になる――自意識過剰になる。
“仮定法受身形”
これが日本人の「仮定法受身形」(筆者造語)的発想につながる。
「~されたら、れば、~される、~されてしまうに違いない」という、自発性・積極性をハナから欠いた姿勢を生む。
日本がたまさか水泳で勝っ「たら」、水着がいかんとか、またぞろ規準自体変え「られ」、勝てないように「されて」しまうのじゃないか・・・というような。
規準とはいつも誰か意地悪な他人がこしらえるもので、そこに日本人など出る幕がないと思い込んでいるのか。
はたまた水着の差異を無意味にするほど選手自体強くなればいいとは思えないのか、ともすると被害者意識にはまり込む。「仮定法受身形」的発想のもたらすものは、不健全な引きこもり心理だ。
それくらいなら、他人の評価など気にせず、なすべきをなし、淡々と仕事をしていればいい――という処世訓は、個人の場合同様、国についてもたぶんあてはまる。
「日本」のマインド市場占有率
・・・とそれだけ言っておいて話をひっくり返すようだけれど、日本はやはり「見えない化」しているのではないか。
鏡に映った自分の身の丈を測るため、試みに指標らしきもの――J/Cレシオ――をこしらえたので、それをお目に入れておきたくて今回の話にした。
なにせ日本には、「影響力」という売り物がある(はず)。
いましも国連安保理で、中国が四の五の左顧右眄(さこうべん)、北朝鮮核実験が忘却の彼方に行こうかというのに平壌に対する決議がまとまらない。そんなふうだと再び日本の「影響力」が気になる。その程度と市場占有率を測れるものなら、計測しておいて損はない。