人工授精を始めて1年が過ぎた頃から、私はある疑念に捉われていた。
成功の確率は3割といいながら、10回しても妊娠の兆候さえないのは少しおかしいのではないか?
誤解のないように断っておけば、私は医師の腕を疑っていたのではない。人柄は穏やかだし、妻によれば人工授精を行うときの手際も良く、あまりにスムーズなのでベッドでうたた寝をしてしまうこともあるという。
個人の開業医で、一昨年65歳になったのを機に分娩をやめたため、時間に余裕があるからと、夕方6時半過ぎに診察してくれるのもありがたかった。なにより、人工授精といっても、排卵に合わせて精子を子宮に送り込むだけのごく簡単な処置なのだから、技術的な心配などしようがない。
私が疑っていたのは、人工授精をするに至るまでの診断だった。最初に妻が3カ月分の基礎体温表を見せて、毎月きちんと排卵が起きていることが分かった。次に、私の精液を調べた結果、精子減少症(乏精子症)が判明した。そこで人工授精が行われることになったため、妻の検査はほとんどしていないに等しい。悪い想像はしたくないが、ここまで妊娠しないのは卵管閉塞等の故障があるからではないか?
前回の人工授精の時に、精液中の精子の密度が上昇していて、「これなら、普通にしていても妊娠できるなあ」と医師に言われたことも、私の背中を押した。
『家庭の医学』をはじめとする専門書で念入りに調べた根拠に基づき、私はまず妻に懸念を伝えた。
「そうかもしれない」というのが彼女の答えだった。ただし、妻はそれきり口をつぐんでしまった。
「大丈夫だよ。卵管が詰まっていても、空気を送って開通する方法があるっていうし、2本ある卵管の両方共が変形していることは滅多にないらしいから」
「うん。分かった」
善は急げと、翌日の夕方、われわれは医師の元を訪れた。