久し振りのソウルは世界金融危機にもかかわらず、賑やかだった。
輸出立国という「日本モデル」を追い掛けながら、経済を成長させてきた韓国だけに、昨秋のリーマン・ショック以降は牽引役の輸出が大打撃を受けた。そのため、昨年10~12月期の実質国内総生産(GDP)の落ち込みは前年比20%を超えるほど急激だった。
それなのに、金浦空港からソウルへの高速道路は車でいっぱいである。明洞や南大門の繁華街も人波であふれていた。「明洞の買い物客の半分は、ウォン安でブランド品を買いに来た日本の女性だと言われています」。通訳の女性が笑いながら言った。
自動車などの今年1~3月期の輸出が相変わらず大幅マイナスが続くなど、韓国が危機の最中にあることに変わりはない。それでも、同期のGDPは前期比0.1%増に回復している。「1997年のアジア通貨危機のようなひどいことにはならない」。現地で会った金融系エコノミストは期待を込めてそう語った。
自動車・電機で「食って」きたが・・・
これに対し、韓国がお手本にしてきた日本経済はどうなるのだろう。「これまで自動車と電機で日本は食ってきたわけでしょう。その二本柱が崩れたとなると、一体今後は何に頼ればいいんですかね」。久し振りに会った経済産業省OBがこう嘆いた。
確かに、日本を経済大国に押し上げていったのは、自動車や電機、工作機械などの機械工業である。三菱UFJ証券チーフエコノミストの水野和夫氏によると、機械工業のGDPへの成長寄与率は1970~80年代は20%程度だったが、日本経済のグローバル化とともに高まり、ITバブルの99年には51%、2002~07年の景気回復期では81%にも達していたという(「中央公論」2009年4月号)。
その中心になったのが、自動車と電機である。とりわけ自動車の電子化が進んだ1990年代以降、日本経済の「自動車化」はますます加速した。その結果、自動車関連産業への従業者数は全就業人口のほぼ8%に当たる約500万人に達している。製品出荷額は全製造業の17%を超え、研究開発費も全体の20%近くを占める。まさに日本は自動車、それと電機で「食って」きた。