Nikkeyshimbun
日本の敗戦で混乱したブラジル日系社会で「正しい情報を伝えなくては事態は収束しない」との思いから、同胞社会を憂う有志が集まり、1947年1月に創立されたのがパウリスタ新聞、さらに、そこから分派して49年1月に日伯毎日新聞が創立。この両紙が98年3月に合併し、現在の「ニッケイ新聞」と名前を変えた。
サンパウロ市に本社を置き、週5回の日刊紙、平均約8ページの日本語版と、12ページのポルトガル語版週刊紙「Jornal NippaK」を発行。公称発行部数は約1万部。