見た目は地味だが通好み、毛利輝元が「戦略重視」で築いた広島城が名城の理由 広島城 (画像1/9) 萩にある毛利輝元像 (画像2/9) 広島城は太田川の河口デルタに築かれた (画像3/9) 広島城天守は原爆で失われ、戦後になって鉄筋コンクリートで再建された (画像4/9) 本丸東面の石垣。あまり高くはないが櫓台がいくつも構えられている (画像5/9) 本丸の石垣上から見た二ノ丸。本丸からの射撃で制圧できるようになっている (画像6/9) 二ノ丸には櫓や城門も復元されている。背後の官庁街もかつては城内だった (画像7/9) 天守の背面にのみ石落としが設けてある。こうしたポイントは見落としたくない (画像8/9) (画像9/9) 見た目は地味だが通好み、毛利輝元が「戦略重視」で築いた広島城が名城の理由 この写真の記事を読む