(英フィナンシャル・タイムズ紙 2025年9月2日付)
ピート・ヘグゼス国防長官(右)やJ・D・バンス副大統領(左)など忠臣に囲まれてご満悦のトランプ大統領(9月2日、写真:ロイター/アフロ)
「大統領、労働省の前に掲げた横断幕のあなたの大きな美しいお顔を見にきてください」
これは、先週テレビ放映されたマラソン閣議の最中に労働長官のロリ・チャベス・デリマーがドナルド・トランプに語り掛けた言葉だ。
称賛を浴びたがるトランプの願望は、飽くことを知らない。閣議では、高官が次々と自尊心をかなぐり捨てた。
トランプ政権の特使として和平努力を担う不運なスティーブ・ウィットコフはトランプに向かって、大統領はノーベル平和賞に値する「史上最高の候補です」と言った。
財務長官のスコット・ベッセントは「あなたはこの国を救った」と絶賛した。
強制的な追従が浮き彫りにする権威主義
公の場で指導者への滑稽なお世辞が求められることは、権威主義の大きな特徴だ。
ルーマニアを独裁支配したニコラエ・チャウシェスクは、国営メディアで「カルパチアの天才」と称された(編集部注:カルパチアは東欧にそびえる山脈の名)。
ヨシフ・スターリンの取り巻きは、彼の「指導的な才覚」に賛辞を送ることを好んだ。
この種の強制的な追従は、ただばかげているだけではなく、危険だ。
これは誇大妄想を抱く人物が権力の座にあり、立ち向かえると感じる人が誰一人としていないことを示唆しているからだ。
そのような環境では、トランプのすべての気まぐれが満たされる。
首都ワシントンに州兵を送り込むか。はい、もちろんです。元大統領のバラク・オバマを「背信的な陰謀」で捜査しろ。かしこまりました、今すぐやります――といった具合だ。
テレビ放送された閣議で、トランプは自分が「好きなことを何でもやる権利を持つ」ことに思いを巡らせた。
本人の説明では、「もし国が危険にさらされていると考えたら、私は何でもできる」のだという。
こうした発言には、ストロングマン(強権的指導者)の権威主義を支える2つの重要な考えが凝縮されている。
1つ目は、国が抜本的な対策を必要とする危機に直面しているという絶え間ない主張。2つ目は最高指導者だけが何をするか決められるという主張だ。
ルイ14世が残した有名な言葉にあるように、「朕(ちん)は国家なり」というわけだ。