1999年11月、東京都文京区で起きた「文京区幼女殺人事件」は、発生から既に10年近くが経っている。2002年11月、東京高裁が懲役15年の判決を下し現在服役中の犯人は、「ごく普通の奥さん」「いつも笑顔」「おとなしく、腰が低い人」と周りから見られていた主婦だった。なぜ殺人鬼となったのか。

森に眠る魚』角田光代著、双葉社、1500円(税別)


 「心のぶつかり合いがあった」「長い間の心理的なもので言葉で言い表せない」と、犯人は供述していたが・・・。本書『森に眠る魚』は、文京区幼女殺人事件をモチーフにした長編小説である。

 繭子、容子、千花、瞳、かおり。都心のマンションで暮らす5人の母親は、子供を通わせる幼稚園などで知り合い、親しく交流するようになる。初めのうちこそ、“ママ友だち” ができたと喜び合うが、関係はいつしか変容し、きしみ、深い亀裂が入っていく。

 義父の遺産で都心のマンションに越したものの、低所得世帯の繭子は、かおりや千花のような “お洒落できれいなママ友” とつき合うほど、劣等感に苛まれる。

 瞳の依存傾向を感じ取って、べとついた不快感を覚える千花。千花は、高級生活誌さながらのライフスタイルを営むかおりに憧れるが、ある出来事をきっかけにかおりに罵倒され、「完璧な主婦」の中に潜む鬼の素顔を見ることになる--。

 瞳の実家が農家で、宗教活動を通して夫と知り合い、拒食と過食の傾向があるなど、幼女殺人事件の犯人を彷彿させるが、「事件」を描いているわけではない。事件と犯人のモチーフは物語全体に散りばめられ、1996年から2000年という長期間にわたる母親5人の心理の動きそのものが、物語化されているのだ。