北海道日本ハムファイターズはなぜ大谷翔平を獲得しにいったのか。指揮官・栗山英樹はどう考えていたのか――?
当時のドラフト、そして交渉時のことを綴った栗山英樹の貴重な証言が、848ページにわたる新刊『監督の財産』(9月9日刊行)に残っている。
今回はその内容を特別に3回にわたって紹介する。第3回。
【前回はこちら「【証言】日米を震撼させる大谷翔平が「指名された日」」】
ファイターズという球団の礎を作りあげてきた原動力
(『監督の財産』収録「3 伝える。」より。執筆は2013年1月)
直接、アメリカに行ってメジャーを目指すことのリスクは少なくない。
アメリカは契約社会である。どんなに高い評価を口にしてもらったところで、契約に反映されていないそれは、ある意味、実行されない約束、つまり空手形と一緒だ。
どうあれ、マイナーからのスタートは必至となる。
人種のるつぼであるマイナーには、少なからず差別的な扱いが存在するという。
そして、その過酷な環境で生き残っていくことや、そこからさらにステップアップしていくことの難しさは、「水をザルですくう」とたとえられることがある。そのほとんどはザルの目からこぼれ落ちてしまうのが現実だ。
それでもなんとか生き残ろうと、選手たちはみな、無理をする。無理をするから、ケガをする。ケガをしたら、残念ながらそこで脱落だ。基本、マイナーにケガの回復を待つという発想はない。誰かがケガをしたら、どこからか別の誰かを呼んでその穴を埋めるだけだ。
あまりにも確率が悪すぎる。
そこで培われる、いわゆるハングリー精神こそが大事だとする向きもある。だが、アメリカのマイナーリーグが若い選手の育成に最も適したシステムかといわれると、それには賛同しかねる。彼らが築き上げてきた文化に敬意は表しつつも、その点においては日本の野球界を大いに推したい。
偉そうに思われるかもしれないが、我々は、アメリカのマイナーでプレーする選手が、まずは日本で学んで、それからメジャーを目指して勝負するという時代が来ることを目指している。メジャーで活躍するためには、まず日本に行くべきなんだという形を作りたい。
けっしてそれはありえない話ではないと思っている。