出発の日の朝。ベッドに横になりながら、1年間、日本へ帰ることはないと思うと、この先、独り家で過ごすことになる母のことが頭をよぎる。今日1日の行動をシミュレーションすると、こうしてはいられないと跳ね起きた。
母と食卓にて朝食をとる。いつものような他愛のない何気ない会話が何となくできず、しばし沈黙のまま、飯を口に運ぶ。これからしばらく顔を合わすことができないので、なるべく湿っぽくない、どうでもいい話題を模索したが、なんとも言いようもない悄然とした空気が食卓を覆った。
そのいささか息苦しい空気を入れ替えたくてテレビのスイッチを入れると、論ずるに足りない話題をまくし立てるワイドショーが湿りかけた雰囲気を掻き消した。
中年になって将来のあてもなく海外をふらふらするという愚かな息子を送り出す母親の心境というのは、かなり思いあぐねたものであるに違いない。その胸中を察すると実に忍びなく、いたたまれない。
実家ではあるが何となく居心地が悪いので、荷物を担ぎ上げ、玄関を出た。近所の人に「どこに行くの」と聞かれると返答と理由を話すのが億劫なので、誰にも会いませんようにと軽く念じながら、足早に駅へと続く坂を小走りに下り、最寄りの駅に着いた。通勤、通学で慣れ親しんだこの電車もしばらくは乗らないとなると、いつもとは違った感慨を覚える。
日本人宿に沈没する人々
成田空港に到着してチェックインを済ませる。JAL12便バンクーバー経由メキシコシティ行きの搭乗口は多くの人でごった返していた。アナウンスがゲートのロビーに響き、満員の機内に入る。最後部に位置するエコノミークラスの席に脚を折り屈めて体を埋めると、15時間後の夜7時、メキシコシティの空港に到着した。
その日の宿泊先は日本人が経営する宿である。世界の各地には、日本人専用の安宿、日本人宿というのがある。日本人宿には旅行を中断し、そこに長期滞在して羽を休める、いわゆる「沈没」している者がいる。
この者たちは、日本で言う無気力で怠惰な引きこもりとは違い、なかなか個性的な人生を歩んでいる場合が多い。
特に中南米を旅するには英語以外にも片言のスペイン語やポルトガル語が話せなければままならず、また、情報収集や交通手段を使いこなす高い旅行技術が必要だ。それができないとタイのバンコクやインドのデリー辺りまでならともかく、中南米まではたどり着けない。つまり、馬鹿で無気力では、中南米まで来て沈没はできないのだ。
日本の超一流大学を卒業して大手企業に就職したが、入社式で同期のあまりの人数の多さに驚愕して絶望し、配属を待たずに会社を辞めた若者がいると思えば、以前、事業を営んでいて隆盛期を経験したが時代の流れに飲み込まれて破綻し、一家離散した中年男もいる。
最新のIT機器を持ち込んで、半年以上も朝から晩まで部屋をほとんど出ない小太りな輩もいる。東京は中野のスナックを仕切るチンピラの女となり、その男と一緒にどういう理由からか海外に逃れるはめになった妖艶な女。その女は道中で男に捨てられたのか、独りこの先、行くあてもなく、けれども毎日、美麗に化粧を欠かさない。
悲壮と浮薄の入り混じった翳(かげ)りを感じさせる人間がこういった宿に数多く潜んでいる。