カナダ西海岸の港湾都市バンクーバー(出所:Pixabay)

(北村 淳:軍事社会学者)

 カナダは、香港の中国への返還(1997年7月1日)に伴って、その前後数年間に香港から大量の移民を受け入れた。その際、経済的要件(一定額以上の投資をカナダで行う、一定額以上の資産を保有する、など)による移民受け入れ枠を拡大したため、香港からだけでなく中国からも多数の移民がカナダに殺到した。

 香港をはじめとする中国系移民で溢れかえったカナダ西海岸の商都バンクーバーは“ホンクーバー”と称されたこともあったくらいである。

 ただし、いわゆるかつての移民やチャイナタウンの一般的イメージと違い、それら多くの中国系移民は富裕層であり、中国系移民の多くが高級住宅に居住し高級車を乗り回していた。そのため、一般の白人たちから“やっかみ”に基づく反発を受ける状況も見受けられた(それまでもバンクーバー周辺に中国系移民は少なくなかったが、白人優位社会であったことには疑いの余地はなかった)。

 その後も、教育熱心な家庭の中国系移民が続々と優秀な大学へ進学するため中国系以外の人々が入学するのが難しくなってしまった、などという軋轢も生じることになった。

 だが、香港返還から時間が経過するにつれ、企業経営者や地主が中国系という状況が普通になってしまい、表面だった反感は低調になっていった。