言葉はいろいろ応用して使って覚えるもの。しかし日本の英語教育は使わせない仕様になっている

 このところ私自身が免許を持つ中学や高校の「数学」を例に、どうして日本人の学力が低いか構造的な背景と対策を考えました。

 同様のことを今回は「英語」で検討してみます。

 実のところ私は理系出身の音楽家で、英文科などは出ていません。そんなお前に語学を論じる資格があるかと問われるかもしれません。

 ちなみにこの連載で私が引用した海外報道は、基本すべて私が自分で訳しているのを長年読者の皆さんならよくご存じかと思います。

 35年来、国内外で仕事する上で、言葉は基本的な商売道具。英語でビジネスし、交渉事では有利な条件を引き出すよう、下手くそな英語と断りながらギャグを飛ばしています。

 もちろん、英語やドイツ語を使ったからといって自分のキャラクターが変わらないよう注意して、東京大学のアカデミック・ディプロマットも長年続けています。

 私の場合はやや状況が特殊で、物心ついた時点で英語は生活の中にありました。教師だった母が家計の助けに自宅でも英語教室を開いていたのです。

 このため自宅の中に教室があり、すべてのレッスンを隣室で何度も耳にしていたので、小学生時分から、真似事程度には私自身教えられるようになっていた。

 そのような特殊な状況なので自分のケースは日本全体の参考にはなりません。

 しかし、一人の国立大学教官として体験、痛感してきた中には、国全体の教育制度を考える上で、重要と思われるポイントがいくつもあります。

 そうした「構造的問題」を中心に、なぜ日本人は英語が使えないか、その本質的な元凶と対策を記してみましょう。