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2月28日にベラルーシで行われた停戦交渉に、ウクライナ側の一員として出席していたデニス・キリーウ氏(右列最奥)。この後、ロシアのスパイとみなされて殺害されたという(写真:代表撮影/AP/アフロ)

(文:春名幹男)

侵攻から2カ月、いまだ頑強な抵抗を続けるウクライナの「強さ」には、それなりの裏付けがあった。中でもロシアの支局扱いで親露派工作員の多かった情報機関は、この8年で大きく変わったのである。

 ロシアが8年前にウクライナを侵攻していたら、ロシアの想定通り、48時間で勝利を収めていたのは確実だとみられる。

 しかしウクライナは2014年以降、インテリジェンス組織も軍隊も劇的な変貌を遂げていた。ウクライナは想定外に強力になっていたため、ロシア軍は緒戦で大きくつまずいたのである。

 ウラジーミル・プーチン露大統領については、「政権幹部が怖くて真実を言えず、誤った情報を与えられていた」(米政府筋)といった米国のインテリジェンス情報が今も繰り返し報道されている。

 だが本当に、真実が伝わっていなかったのだろうか。ウクライナ政府の内部に潜んでいたロシアの大物スパイらが、北大西洋条約機構(NATO)諸国の情報機関の協力も得て摘発されていた事実や、弱体化していたウクライナ軍が米国などの支援で再建されていたことが、プーチン大統領に伝えられていないはずがない。自分の責任を部下に押し付けようとした可能性がある。

 2014年のロシアによるクリミア半島併合以後、ウクライナが着々と進めてきた歴史的な方向転換の実態を、米シンクタンクなどの調査などを通じて迫っていきたい。

ウクライナ情報機関はもともとKGBウクライナ支局

 ウクライナ情報機関が「ソ連国家保安委員会(KGB)ウクライナ支局」から親米組織へと大転換した歴史は極めて興味深い。

 冷戦終結後も約25年間にわたって、ロシア情報機関は、ウクライナでほぼ自由に秘密工作を展開してきた。ソ連の崩壊に伴い1991年に独立したウクライナだが、それに伴って誕生した新しい情報機関「ウクライナ保安局(SBU)」は、「KGBウクライナ支局」の看板を書き変えただけの組織だった。

 SBUはロシア連邦保安局(FSB)に、2004年に発足したウクライナ対外情報局(SZR)はロシア対外情報局(SVR)に対応する組織形態となっている。これらとは別に、両国とも軍事情報機関を備えている。

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