鋼鉄製のカバーで覆われたチェルノブイリ原発。写真は昨年4月15日撮影のもの(写真:AP/アフロ)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 ウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所がロシア軍によって占拠されたのは、2月24日に侵攻が始まった直後のことだった。

 それから2週間が経った3月9日には、チェルノブイリ原発への送電設備が損傷して外部からの電力供給が遮断された、とウクライナのクレバ外相がツイッターに投稿。ロシア側に攻撃をやめるように訴えた。これに対して、IAEA(国際原子力機関)は、ウクライナ側から報告を受けたとした上で「安全性への致命的な影響はない」との見解を表明している。

 その後、10日の夜には損傷した送電線の修理作業が始まったとされ、ロシアのエネルギー省によれば、同発電所は隣国ベラルーシから電力の供給を受けているとしている。その一方で、IAEAによると核物質監視システムのデータ送信は停止したままになっていて、原発とウクライナ当局とのやり取りは、電子メールだけになっているという。

 原発の電力供給停止すなわち電源喪失と聞くと、福島第一原子力発電所のメルトダウンの原因となっただけに、危機感が煽られるばかりだが、しかしチェルノブイリ原発では、もっと重大で潜在的な危機に瀕していることは日本であまり報じられていない。私の過去の現地取材も含め、あらためて現状を検証してみる。

「石棺」完成後も発電を続けていたチェルノブイリ

 チェルノブイリ原発が史上最悪と呼ばれる事故を起こしたのは、1986年4月26日のことだった。4つあった原子炉のうち4号炉が爆発事故を起こした。それものちに福島第一原発が体験する全電源喪失の対処訓練中に操作を誤った事故だった。

 その事故処理には「リクビダートル」と呼ばれた作業員たちが身を犠牲にしながら人海戦術であたるしかなく、さらには爆発によって熔解した核燃料を封じ込めるために、4号炉を鉄のフレームとコンクリートで覆い固める「サルコファグ」、日本語で「石棺」と訳される建物を建設して、放射性物質の拡散を防止した。いまではその石棺も老朽化して、アーチ型の「NSC(新安全封じ込め施設)」と呼ばれる鋼鉄製の巨大なカバーがさらに囲っている。

 ところが意外なことに、事故直後から処理作業中も、また「石棺」が完成したあとも、2000年12月に3号炉が停止するまでの14年間、残った3つの原子炉は稼働を続け、発電を続けていたのだ。福島第一原発でいえば、震災当時に整備点検中で事故に至らなかった5号機、6号機をいまでも稼働させているようなものだ。しかも3号炉は、爆発を起こした4号炉と同じ建物の中にあって半分を占めていた。