花が咲き誇る北極(写真:半田也寸志、以下同)

 英グラスゴーで開催されたCOP26は閉幕したが、気候変動に対する各国の足並みは揃っていない。その間にも、日々悪化する地球環境──。写真家として極地における地球温暖化の惨状を目の当たりにしてきた半田也寸志氏が、今地球で起きていることを綴る。

(半田也寸志:写真家)

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

 これは1898年、フランスの画家ポール・ゴーガンが自身の集大成として描いた絵画につけた画題です。折しも、フランスは英国から半世紀近くも遅れた産業革命が始まった頃で、その喧騒と変化していくパリの人心にうんざりしていたゴーガンは、自然回帰を望んでタヒチに移住し、この巨大傑作を完成させました。

 それから半世紀以上も経った1959年、ケニア生まれの英国人学者ルイス・リーキーと彼の妻マーリーによって、東アフリカ・タンザニアのサバンナ近くにあるオルドバイという渓谷から、約350年前の親子三人の足跡と200万年前の猿人、そして150年前に道具を用いていた、我々の直接の祖先となる原人の化石が発見されました。

人類発祥の地、タンザニアのオルドバイ渓谷

 人類がここに誕生した理由は、この場所が密林地帯からサバンナに変化したことが深く関わっています。

 今から3000万年前に発生したマントルプルームと呼ばれる地殻変動が東アフリカ一帯を押し上げ、地表が大きく裂けた結果、幅50km、南北6400kmにもわたる隆起帯(グレート・リフト・バレー)が形成されました。

 この裂け目にできた火山の爆発がもたらした大量の火山灰が土壌をセメントのように固めるとともに、地殻活動によって形成された山脈が、これまで大西洋がもたらしていた湿気を阻むようになりました。その結果、森林が衰退し、根を地中深くに張らず、乾燥に強いアカシアと再生力の強いイネ科の草だけが勢力を伸ばすようになったのです。

 こうしてリフトバレーの東側には現在のタンザニア、ケニア、ウガンダにまで広がる広大な草原、サバンナが生まれました。
 
 そして、地殻変動が引き起こした湿潤気候の遮断によって、アフリカを南北に移動する貿易風の勢力は強まり、天候はそれまでとはうって変わって雨季と乾季に分かれるようになりました。

 このことが常に新鮮な草を求める草食動物とそれを捕食する肉食動物に、時計回りの循環移動を促すことになり、彼らが餌場を変えている間に食い尽くされた草が再生されるという好循環を生み出しました。

 こうしてサバンナは1年を通して食糧の尽きることがない「生命の揺りかご」となったのです。