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第5回先進国首脳会議(東京サミット)に参加したマーガレット・サッチャー英首相(1979年6月29日、写真:AP/アフロ)

(文:フォーサイト編集部)

経済再生の救世主か、格差拡大の元凶か。未熟で危険とみなされた政治家が「鉄の女」と呼ばれるまで。

 マーガレット・サッチャーは、1975年に英国保守党初の女性党首、79年に53歳で同国史上初の女性首相となり、11年間の長期政権を率いた政治家だ。内政では「サッチャリズム」と呼ばれる新自由主義的な改革で英国経済を再生し、外政では、ソ連との冷戦に勝利し「鉄の女」の異名をとった。

 一方で、その強硬な政治姿勢から敵も多く、左派からは「富裕層を優遇し、格差社会を招いた張本人」など辛辣な批判も浴びてきた。資本主義の行き詰まりをめぐるこうした議論の出発点に、常にサッチャリズムは参照される。サッチャーは、決して「過去の政治家」にならないのだ。

 サッチャーは自らを「確信の政治家(conviction politician)」と評していた。指導者として明確な信念を持つのは当然のようだが、当時の保守党では国事の運営に熟達することが政治家の本分であり、思想信条への固執はむしろ蔑まれるべきことだったという。

 外交官として国内外多くの政治家と交流してきた冨田浩司駐米大使は、山本七平賞を受賞した著書『マーガレット・サッチャー:政治を変えた「鉄の女」』の中で、「サッチャーが自らの信念を施策の隅々まで貫徹させる意志と行動力を備えていたことで、その結果生まれた一貫性は彼女が示す政治選択を極めて明確なものとした」と記している。まさに「鉄」たる所以である。

 以下、『マーガレット・サッチャー:政治を変えた「鉄の女」』より、一部を抜粋・再編集してお届けする。

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好きになれない「偉大な政治家」

 近代以降のイギリスの歴史を振り返る際、筆者から見て真に偉大な政治指導者として指を屈するのは、グラッドストン、チャーチル、サッチャーの3人である。しかも1982年、筆者が外交官として最初に赴任したのはイギリスで、4年間の在勤期間を通じてサッチャー政権はまさに隆盛の最中にあった。フォークランド戦争、炭鉱ストライキ、ブライトンでの爆弾テロ、シティにおける「ビックバン」改革など、当時の出来事を思い出すたびに感じることは、それらの記憶の一つ一つがサッチャーという政治家の圧倒的な存在感に彩られていることである。当時の政治において彼女が発するエネルギーはそれほど強烈であった。

 にもかかわらず、サッチャーについて書くことには大きな抵抗があった。その理由は単純で、彼女の政治家としての業績は認めざるを得ないとしても、人間的にはどうしても好きになれなかったためである。前著(『危機の指導者 チャーチル』)で取り上げたチャーチルについては、読者に紹介したい事柄が無尽蔵にあり、また、そうした事柄を書くことに大きな喜びを感じていた。チャーチルに対するような人間的共感を持てないサッチャーについて書くことは、大変な難行のように思えたのだ。

 筆者がこうした抵抗感を克服し、サッチャーについて書いてみようと思うに至ったのは、ある本の一節を目にしたためである。

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