76回目の終戦記念日に千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花する菅義偉首相(2021年8月15日、写真:つのだよしお/アフロ)

(北村 淳:軍事社会学者)

 政府による新型コロナ対策の度重なる失敗により日本は制御不能な感染拡大局面に突入し、東京や沖縄をはじめ各地で実質的な医療崩壊が始まってしまった。

 このような状況を76年前の対米戦争の敗北になぞらえて「コロナ敗戦」と呼ぶ人々が少なくない。

 76年前、日本列島周辺海域(海上、上空、海中)の軍事的優勢をほぼ完全に米軍側に奪取されてしまい、朝鮮半島、満州、中国本土、フィリピンなどとの間の補給発動もままならなくなっていた日本軍は、軍事常識では降伏をする状況であったにもかかわらず徹底抗戦を叫んで「本土決戦」態勢の構築に着手した(拙著『米軍幹部が学ぶ最強の地政学』宝島社、参照)。

 これに対してアメリカ軍は日本本土(日本列島)に侵攻し日本軍を壊滅させる作戦の立案を急いだ。アメリカ軍指導部はそれまでのサイパンや硫黄島などでの日本軍の激しい抵抗から判断して、毒ガスや生物化学兵器も投入し日本国そのものを壊滅させる方針に基づき日本侵攻東京制圧作戦を立案した。「ダウンフォール(滅亡)作戦」と命名されたこの作戦は、イギリス連邦軍、すなわちイギリス軍、カナダ軍、オーストラリア軍も加わることになっていたが、完全に米軍主導かつ米軍主体の侵攻作戦であった。

ドイツ降伏後に日本壊滅作戦実施に向けて米国で作成されたプロパガンダポスター
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