(オフィスの写真:ロイター/アフロ)

東京大学大学院
経済学研究科准教授
稲水伸行 氏

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、テレワークなどによりオフィス以外で働く人が増えている。コロナ禍により、仕事はオフィスに出勤して行うものという従来の前提が覆されたと言えるだろう。仕事の内容に応じて働き方を変えるアクティビティ・ベースド・ワーキング(ABW)という概念も注目されつつあり、こうしたことからオフィスを縮小する動きもあるが、それにより新たな課題が生じる可能性もある。企業の生産性向上や競争力強化のために、これからのオフィスにはどのような機能や役割が求められているのか。「オフィス学」の研究に取り組む、東京大学大学院経済学研究科 稲水伸行准教授に聞いた。

コロナ下で働き方改革に成功した企業の共通点

 新型コロナウイルスが企業の経営に大きな影響を与えている。2020年4~5月にかけては緊急事態宣言も発令、社員の在宅勤務を余儀なくされ、やむなくテレワークを導入した企業も多かった。その一方で、これを前向きに捉え、社員の働き方改革も同時に取り組むべきといった意見や計画中だったテレワーク拡大を一気に進められたという声も多かった。

 こうした状況に対して、稲水氏は「テレワークを導入すれば、すぐに働き方改革が進むというものではありません。成功事例としてサイボウズを紹介します」と話す。

 サイボウズは、東京都に本社を置くクラウドベースのグループウエアなどを提供するソフトウエア開発会社で、現在は働き方改革を推進する企業として知られるが、かつては高い離職率に悩んだ時期もあったという。

「ここに至るまで10年近くの時間をかけています。きっかけは2011年3月に発生した東日本大震災でした」

 サイボウズにはそれ以前にも在宅勤務などの制度はあったものの、なかなか活用が進んでいなかったという。大きな災害がきっかけになって導入が加速したわけだが、同社に限らず、東日本大震災の際にはBCP(事業継続計画)の観点でテレワークを導入した企業も少なくない。だが、その後、働き方改革も含め、社内の改革に成功した企業とそうでない企業とで大きく差が出ているわけだが、その要因はどこにあるのか。

「サイボウズでは、従業員が100人いれば100通りの働き方を許容するという方針を掲げ、人事制度づくりなども同時に進めました。推進に当たっては経営者がコミットし、時間をかけて社員の意見を聞きながら、試行錯誤を繰り返してきたそうです」

 日本においては、テレワークについて仕事と育児や介護の両立など、福利厚生という位置付けで語られることが多かったが、今や経営と切っても切れないものになっているということだろう。

「日本マイクロソフトも働き方改革に取り組む先進的な企業として知られます。同社の場合もきっかけは東日本大震災でした。テレワークに大きく切り替えることで社内の雰囲気が変わったそうです。今、働き方改革で成功している企業は、ある程度時間をかけて、テレワークや新しい働き方の導入を議論してきた点に特徴があります。奇しくもそうした準備ができている企業が、このコロナ禍で強みを発揮することになりました」

 働き方改革には、まだ福利厚生の側面からしか取り組んでいない企業があるとすれば、今いみじくも起こっているコロナ禍を利用し、将来に向けた変化を起こし、経営側面からのドライブをかけるべきだろう。

オフィスは縮小すべき? 移転すべき?

 2021年1月、首都圏4都県を皮切りに、その後の7府県と合わせ、計11都府県に緊急事態宣言が再発令された。企業によっては前回の緊急事態宣言以降、社員がオフィスに全く出社していないというところもある。そのため、特に都心部ではオフィス需要が低下しており、中には拠点を閉鎖したり、地方に移したりする企業も出始めている。本社機能すら移転するところもあるほどだ。

 オフィスの縮小化は今後も進むのだろうか。稲水氏は次のように答える。

「大きいオフィスを構えるのは時代の流れに沿わないでしょう。ただ、コロナ禍でテレワークになったから、ただちにオフィスを減らすべきと考えるのも疑問です。先ほど紹介した日本マイクロソフトは、今から10年前の2011年2月、東日本大震災の直前に本社オフィスを東京・品川に移転しています。ところが、その後、テレワークの導入などに伴い、順次フロアを返しているのです。10年間で当初の3分の2程度に減らしたと聞きます。同社はかなり急激に働き方を変えてきていますが、それでも10年をかけて徐々に適用しているのです。コロナだからオフィスは要らないと短絡的に考えるのではなく、自社にとってどのようなオフィスが最適なのかを検討した上で取り組みを進めるべきです」

 それぞれの企業によって、リアルの方が生産性が上がる、オンラインでもやれるとオプションが増えていったときに、オフィスなしでもいいと判断できることもあれば、場合によってはオフィスを増やした方がいい場合もあるかもしれない。

「私はむしろ、アフターコロナになった時には再度、やはりリアルがいいという話に揺り戻しが来そうな気がします。特に東京は世界的に見ても屈指の集中人口の多さで、多様な人が集まっている都市です。多様な人とリアルで会うことから新たな価値が生まれることも少なくありません」

 折しも、政府は地方での雇用創出や地域活性化などを狙って、テレワークを推進するという方針を打ち出している。東京への一極集中の課題も念頭にあるようだが、「地方でテレワークができるようになったといっても、労働集約型の安い賃金の仕事ばかりでは、本当の意味での活性化につながりません。東京に集中し過ぎるのも良くないかもしれませんが、東京には東京の魅力があります。それを全くゼロにしてしまうのも極端だと思います」

 この稲水氏の指摘のように、付加価値を生む場所という視点で、立地戦略を検討することが重要だろう。

会社と個人の関係が変化し、ワークフローの再定義が必要に

 稲水氏の話から分かるのは、会社と個人との関係性が変化していることだ。ただし、稲水氏が指摘するように、コロナはそのきっかけの一つにすぎず、本来はコロナ以前から日本企業にその再定義が問われていたのであろう。そして、その再定義された関係性の中から新たなアクティビティが生まれてくる。

 ABWという仕事の内容に応じて働き方を変える概念も注目されつつあるが、その実現には働く環境とワークフローの再定義が不可欠だ。オフィスはそれを実行する場所の一つになると考えられるが、かつてはそれが、どの企業も一様だった。コロナを契機にそれが多様性を帯びつつある。

「オフィスのレイアウトなども変わってくるでしょう。少し前までは、オフィスの中に複合機が置いてありました。文書をプリントアウトするたびに人が集まるので、いわゆるマグネットエリアになっていました。そのために、企業によっては、複合機の周辺に立ち話ができるようなスペースを設置していたところもあります」

(写真:imagenavi/イメージマート)

 テレワークが進むと、文書を印刷する機会も減ることになる。ペーパーレス化が進むと歓迎する意見もあるが、それに対しても稲水氏は疑問を投げ掛ける。

「コロナが収束した後、例えばオフィスに半分の社員が出社し、テレワークで半分の社員が働くといった状況になったとします。そうした状況で問題になるのが、オフィスにいる人とテレワークをしている人の情報格差です。実際に、現在の状況下では、オフィスに来ている人には紙で配布されるのに、テレワークの人には配布されなかったので情報が伝わらないといったことが起こった企業も相当数あるようです」

 あらゆる人があらゆる情報にオンラインでアクセスできれば望ましいが、それをただちに実現するのは困難であり、コスト面でも現実的ではない。何を紙で残し、何をオンラインにするのか、印刷の最適化も重要になるだろう。むろん、将来を見据えた、サステナブルなオフィスへの対応も必要だ。

「複合機の台数自体は減っていくでしょう。マグネットエリアとしての機能も低下します。サイボウズでは早くからクラウド化を進めていますが、意図的にオンラインで雑談をし合うといった時間をつくっています。新入社員については、特にメンター的な先輩が付いてフォローしているようです」

 多様な働き方を実現するために、コミュニケーションロスや情報格差を防ぐ仕組みを企業側でつくり、きめ細かくサポートをしているわけだ。

オフィスの設計は総務部門に任せず、経営者がリードすべき

 稲水氏の話を聞くと、今まさにオフィス設計の在り方が問われていることが分かる。ただ、これまで企業でオフィス設計に携わるのは総務部門が中心だった。

 働き方の多様性をどう設計し、どう把握していくか。それを一手に担うのが本当に総務部門でいいのだろうか。稲水氏は次のように話す。「総務の方には申し訳ないのですが、多分、総務部門だけでやっていると、難しいのではないかと思います。というのも、特に2010年代ぐらいからここ10年ぐらい、オフィスに関して言えば、総務部門に加え、人事部門、IT系の部署などが三位一体でやっていかないと、いい新しいオフィスが出来上がらないということが証明され始めているからです」

 総務部門が設計を行うと、リスクを抑えた、無難なオフィスになりがちで、誰も文句を言わないが、誰も得をしないオフィスになってしまうのである。実は、こうしたことが起こるのは、経営者の関与が不足していることに原因がある。「経営トップがしっかりとビジョンを打ち出すことが大切です」と稲水氏は念を押す。

 笑えない冗談話もある。「よく私のところに企業の総務部門の方が相談に来られます。そのときに尋ねられるのが、『こういうオフィスデザインにしたらこれだけ経営の効果が上がると示すようなデータはないですか』と。そんなものはないとは言いませんが、なかなか個別のプランに対して出すのは難しいところです。中には、経営者からそのようなエビデンスを求められているところもあるようですが、経営者自身が意識を改めるべきです。オフィスはコストではなくて、ある程度将来を見据え、リスクを負って投資するのだと考えてほしいですね。そうした方向性をきちんと打ち出してくれれば、総務部門などの人たちも動きやすいでしょう」

 かつては、同様なビジネス形態、同様な働き方とそれに合わせた同様なオフィス設計でよかったところが、ビジネス環境が急速に変化し、それに対応するための働き方が求められている中、総務部門だけでそれに呼応するオフィスを設計するのにはもはや限界があるだろう。最近になって、オフィスの設計に当たり、複数部門の人材を集めて、横断的なプロジェクトで行う企業も出てきているという。もちろん、そこでも、経営トップがコミットし、明確な方向性を出すことが大事だ。オフィスの設計に当たっても変革が求められている。

企業変革の視点でオフィスの在り方を検討すべき

 オフィスが社員のパフォーマンスにどのような影響を与えるのか。エビデンスのあるデータを得るのは容易ではないが、稲水氏はその意義ある研究にも取り組んでいる。

「最初の緊急事態宣言が出た2020年5月に調査を行いました。その時は、テレワークになったら生産性が下がるという意見が多かった。ところが実際にアンケートをとってみると、大きく生産性が下がったという回答は少なく、むしろポジティブな捉え方をしている企業が多かったのです。ただ、長期的には社員のストレスなど、いろいろな問題も出てくる可能性があります」

 どのような問題が生じるのか、多様な働き方は社員エンゲージメント向上はもちろん、生産性向上に本当につながるのかどうか、引き続き、経過を見続ける必要があるだろう。あるいは、リスクがあるのであれば、いっそ、ほとんどの社員をオフィスに戻した方がいいのだろうか。
「経営者にとっては、社員がストレスに苦しむくらいならテレワークをやめようといいたくなるかもしれません。ただし、コロナ下のテレワークはある種の異常な状況でもあります。コロナ感染拡大が収束し、通常の状態に戻ったときに、テレワークかオフィスで働くかという0か1かの話ではありません。ずっと在宅勤務だけを続けるのもつらいですよね。パフォーマンスを上げるために、自分の会社ではテレワークをどれぐらいの割合で、どのように使えばいいのかを社員の声に耳を傾けながら、自身のやる方を考えることがまず大事です」

(写真:ロイター/アフロ)

 つまり、社会の時流に乗って安易に変えればいいというものではなさそうだ。稲水氏が紹介した先進的な企業も、10年近い時間をかけて変革に取り組んできた結果、今日の姿がある。「オフィスの引っ越しは1、2年でできるかもしれませんが、それが身に付いたものになるためには数年以上の時間がかかります。ビジネス変革もオフィス改革も長期で捉えるべきです」と稲水氏は語る。

 テレワークなど制度の導入ばかりを取り出して議論してしまうと、何のために行おうとしているのかが抜けたものになる。目先の施策ではなく、長期なビジョンを描き、それに基づいた未来を見据えた変化に対応する企業変革の視点で、オフィスの在り方を検討すべきだろう。