昨秋のことになるが、モスクワのロックダウンが解除され、新型コロナウイルス感染症の第2波が来るまでの短期間、世の中は通常運転だった。
そのタイミングで私は、モスクワに隣接するトヴェリ州に新しくできた独ソ戦の戦勝記念モニュメントと、ソ連軍とドイツ軍が死闘を繰り広げた町、ルジェフを訪れるバスツアーに参加した。
足のない兵士、知られざるルジェフの戦い
このツアーは一般募集しておらず、モスクワ在住のトヴェリ出身者が、地元にできたモニュメントを訪れ、戦争の犠牲者を弔おうという特別な目的で企画された。
参加者の平均年齢はかなり高い。私の前の席の人は作曲家兼歌手で、持参したスピーカーで自作の軍歌を大音量で流していた。
またある人はルジェフの詩を朗読し、その次の人は小噺を披露、というふうに、車中で全く退屈する暇もないまま目的地に着いた。
ルジェフは人口6万人足らずの小さな町だ。
ルジェフの戦いとは、1942年から43年にかけて独ソ間で繰り広げられた血で血を洗うような戦闘で、ロシア語では「肉挽き器」とさえ呼ばれている。
この戦いによる犠牲の規模は諸説あるが、ドイツ軍が負傷者も含め約40万人なのに対し、ソ連軍は130万人(うち戦死者は40万人?)にものぼるという。
スターリンにしてみれば、ルジェフをナチスドイツから解放しなければモスクワも落ちる、ということで、何を犠牲にしてでも取り戻さなければならなかった。
しかしルジェフの戦いの存在自体、比較的最近まで公にされてこなかった。映画化されたのも2019年である。
ソ連側の犠牲があまりにも大きすぎたため、ルジェフの戦いと言えば「作戦失敗」「無駄死に」というイメージがついてしまったのだ。