米国ではこれまで、3度の「国内民族大移動」があった。

 1930年代、中西部を襲った強力な砂嵐により農業が壊滅的な打撃を受け、農民を中心に10年間で250万~350万人が他の州へ移住した。

 2度目の大移動は、1940年から1970年の間に徐々に起こった黒人の移動である。奴隷解放が進み、南部から他の州へとおよそ500万人が移動した。

 そして3度目は2005年。強大なハリケーン・カトリーナとその後の大洪水によって家を奪われた被災者の人々、およそ150万人が全米50の州に散らばっていった。

 それ以前の大移動が長い時間をかけて起こった現象であるのに比べ、ハリケーン・カトリーナの大移動はたった数週間の間に緊急的に起こった。しかも、移動した人たちは「避難」しただけであり、自分の意志で他の土地に移転したわけではない。

 そして5年以上経った今でも、多くの避難民が故郷に戻れないでいる。

被災者の住宅用に大型船も用意

 分かっているだけでも1836人の犠牲者を出したハリケーン・カトリーナは、米国史上最も被災総額の大きい災害だった。

 ルイジアナ州ニューオーリンズを中心に、大規模な洪水によって多くのビルや工場、家屋が失われたためである。被災者もこの町に集中している。

 この一帯の80%が水没し、何週間も水が引かなかった。町の90%が水没した地域もあった。

 30万戸の建物を破壊したハリケーン・カトリーナによって避難生活を強いられた人たちの正確な数は分かっていないが、労働統計局はおよそ150万人前後ではないかと推定している。

 多くの人々は、親戚や友人の家に身を寄せたり、遠くの別荘に移り住んだ。それでも何万何千という人々が、スポーツスタジアムや学校の体育館、教会などで不便な一時避難生活を強いられた。

 連邦緊急事態管理省(FEMA)は、自宅が破壊され、住めない状態になったこれらの人々に、短期的に住める住宅を提供しなければならなかった。