地震から20日経った3月31日、ニコラ・サルコジ仏大統領が日本を訪れた。風の如く現れ、また去って行った。日本への連帯・友情を示すため、はるばるやって来たかに言う向きがあった。
サルコジ大統領が日本に来た理由
そこに真理の一半があったのだとしても、見過ごしてならないのはこれが中国・南京に行った復路、その途次での立ち寄りだった事実である。
今回本コラムが関心を払おうとしているのは、それなら南京へ、大統領はそもそも何をしに行ったかだ。
――ドルには使用期限が来たのであって、バスケット通貨をもって変えるべしとする論調を、陰に陽に推し進めてきたのがサルコジ氏である。
南京では、同氏の発案によって31日、国際金融セミナーが開かれた。言い出しっぺとして開会劈頭、基調演説をするのが南京入りの目的だった。
筆者の立場をここで述べておくと、基軸的準備通貨、決済手段としてドルが持つ信用と通用力は、先行きなまじのことでは衰えないと見ている。衰えられてしまうようでは、米国を守護者とするシステムにどっぷり権益を依存してきた日本にとって、恐らくロクなことにならないとも思っている。
SDRを通貨にしようとの試みが南京で深化
ドルに代わる「バスケット通貨」は、国際通貨基金の規定改正によるのか主要各国間の単なる協議に基づくのか、硬軟いずれにせよ何らかの法源をもととし合意によって作られるほかなく、その法源が米国の承認抜きに形成されるとは思えない以上、実現性は限りなく小さいという判断に立っている。
国際通貨基金を事実上の世界中央銀行とし、バスケット通貨の原型として現存する「SDR(特別引き出し権)」に法定通貨としての通用力・信用力を持たせていくなど、国際的に合意可能な通貨ガバナンスの仕組みを中国まで巻き込みつつ築き上げることを措定しない限り、無理な話である。体制の差異を黙過するそんな試みは、政治力学的に見てまずあり得ない。
しかし南京で繰り広げられた議論は、それに先立ち3月18~19日、これもサルコジ氏が頼みとする学者たちによって北京で開かれた別の国際金融セミナーにおける論議と併せ見た場合、SDRを通貨にしようとする主張が理論的に一段の深化を見た事実を示すものだった。
ドル一極体制への挑戦者として、SDRは米国を除く国際社会の承認を獲得しつつある。この推移からは決して目を逸らすべきでない。