(遠藤 業鏡:広島大学経済学部客員准教授)

 8月19日、米国の主要企業の経営者団体、ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)は「会社の目的」に関する声明文を公表した。同団体はこれまで標榜してきた「株主第一主義(shareholder primacy)」を見直し、すべてのステークホルダーの利益に配慮することにコミットした。

 具体的には、環境保護など持続可能な事業運営の他、従業員に公正に報い大切な給付を提供することについて言及している。後述する通り、この宣言は「CSR」(企業の社会的責任)を考える上でも重要な含意を持ってくる。

「会社は主に株主のために存在する」という考えの見直しは、経営者は株主の「代理人」だと教わった人間には相当な驚きだろう。対照的に、社内で白眼視されてきたCSRセクションの人間や、長い“冬の時代”を経験したサステナブル投資関係者からすれば、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)したくなるようなニュースと映ったに相違ない。

 以下では、BRTの「転向(らしきもの)」が何を意味するのか筆者なりの見解を述べたい。筆者はCSR活動にシンパシーを感じる人間の1人であるが、国内のCSR関係者や経営者がBRTに倣って会社の目的を「再定義」しようとする動きに対しては、これを押しとどめたいと思っている。その意図は本文をすべて読むとわかっていただけよう。

従業員も取引先もリスク負担者である

 株主利益に配慮した経営を行うという発想は何らおかしくない。ただし、1990年代以降の米国企業の場合、「一に株主、二に株主、三四がなくて、五に株主」になっていたように思われる。コーネル大学法科大学院の故リン・スタウト教授は2012年の著書の中で、米国の「株主第一主義」は「株主絶対主義」と呼ぶのがより適切だと表現している。

 これはミルトン・フリードマンの影響を強く受けたものと言えよう。彼は会社を「株主の道具」と捉え、私有財産である会社がCSR活動に従事する必要はないと考えた。彼から見れば、「より大きな善」の名の下で実践されるCSR活動は「窃盗」に他ならなかった。