秋篠宮家の眞子内親王殿下が日本人移住120年を記念して、ペルー共和国とボリビア多民族国を訪問され親善を深められた。
眞子さまの和服姿の笑顔や立ち居振る舞い、これこそが移住した日系人が待ち望んでいたお姿ではないだろうか。
彼らは「自分たちには血の繋がった祖国があるんだ。それは天皇を戴き、世界に類のない平和を愛してやまない日本である。その内親王が今ここにおいでになる」と、言葉では表せない満腔の歓びに浸っているように見受けられた。
ご結婚された後においても、皇族、あるいは元皇族の一員として、こうした活躍が期待されている。どこまでも貴種がもたらす、言語を超越した効用である。
そうした視点から、先に「恋は盲目では済まされない秋篠宮家の内親王 国民の理解も祝福も得られない結婚は考え直すべき」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56804)を書いた。
皇室に対する国民の意識は御陵に現れる
皇室問題がスキャンダラスに週刊誌で取り上げられ、また皇室が庶民化・階層的平準化することがあたかも「開かれた皇室」であるかのように戦後の日本人は勘違いしてきたのではないだろうか。
週刊誌的な例示には事欠かないが、ここでは庶民化・平準化の一例として御陵を取り上げる。上皇となられた平成天皇の御陵は、大正・昭和天皇陵の3分の2くらいに縮小されることになった。
何百年かの後には正しく庶民の墓並みになってしまう危惧が存することを旧皇族で作家の竹田恒泰氏の講演で聞き知った。
上皇(平成天皇)は「象徴天皇の在り方」をとことん突き詰めてお考えになり、国民と共にあり、天災地変で国民が塗炭の苦しみにある時は同じ目線に立って被災者を元気づけられ、また快癒をお祈りになった。
そうした象徴の務めが果たせなくなりつつあることを危惧され、譲位をご決断された。国民に寄り添うお考えから「自分たちの墓は小さくて良い」という趣旨のご意志も内々に発されたのであろう。
しかし、それは上皇陛下に限らず、歴代天皇が思召されてきたことに違いない。外国の王侯貴族と異なり、日本の天皇は宮殿の広大さや豪華さを誇らないのを美徳とする伝統をお持ちだ。
そうした思いの中で、御陵建設の話(大々的にやらないようになどの)もあったに違いない。