親会社からの天下りを受け入れ続けたことで社員のやる気が失われていった。そして、どん底にまで落ち込んだ組織を救ったのが、「最後の天下り社長」だった。

 惨憺たる状態の会社だったが、「悪いところを直せば、必ず良くなる」との信念の下、トップダウンで仕かけた改革がついにボトムアップの活動に変わり、今では親会社も羨むほどの社員が自信を持てる会社に生まれ変わった。

天下りの弊害

 半導体・液晶機器からロケット用電装品、身近なところではプリンターシステムの開発・製造などを手がけるシンフォニアテクノロジー。その創業は1917年、三重県の鳥羽造船所内に設立された電気工場にまで遡る。

 この工場が、4年後には神戸製鋼所の鳥羽工場となり、第2次世界大戦中には従業員数は数万人に拡大。帝国陸・海・空軍のモーターや発電機など電気装置の85%を供給し、盛況を極めた。

 その後、戦後の財閥解体で神戸製鋼所から分離し、神鋼電機として新たにスタートした。

 現在、シンフォニアテクノロジー相談役を務める佐伯弘文氏が、神鋼電機に社長として就任したのは2000年6月のこと。当時、同社は財務的に大変な窮地に追い込まれていた。

 決算は赤字続きで、表面上の赤字以外にも資本金の98億円を上回る膨大な隠れ不良資産があった。通常であれば、銀行は即刻取引を停止する。つまり、不良資産が表面化していないだけで、実質的には倒産という状況だった。

 同社はそれまで、赤字部門の事業縮小のために大小合わせて9回のリストラを実施し、従業員数を最盛期の4分の1に当たる3000人にまで絞り込んでいた。しかし財務状況が良くならないばかりか、それによって大切なもの、「社員のやる気」を失っていた。

 多くの優秀な社員、特に技術系社員は他社へ転職。残った社員は投げやり、無責任、無気力な状態に陥ってしまい、社内は活気がなく、何かあれば親会社頼みの空気が蔓延していた。

 まるで役所のように規則ずくめ、前例主義が横行して、社内には多くのムダが散見された。