マヤ文明の遺跡・チチェン・イツァ

 中学校や高校で歴史を学んだ際に、「文明の発達には大河が不可欠だ」と教わった覚えのある人も多いのではないでしょうか。確かに、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河のいわゆる「四大文明」は、それぞれナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河という大河沿いの地域で発達しました。

 ところ「四大文明」というのはあくまで世界史の一つの見方に過ぎません。別の解釈では「六大文明」として、6つの古代文明を挙げる分類法もあります。

 では「六大文明」とは何でしょうか? 一般的には上記の4つに加えて、メキシコ高原からパナマ地峡にわたる地域に起こったマヤ文明、オルメカ文明、テオティワカン文明などの総称「メソアメリカ文明」と、南米のアンデス地帯に起こった小文明の総称「アンデス文明」ということになります。

 メキシコ高原からパナマ地峡にかけての一帯、そしてアンデス地帯には、「大河」はありません。つまり、「大河=文明発生の必要条件」とは言えないのです。

独自の発展を遂げた古代アメリカ文明

 このメソアメリカ文明とアンデス文明というアメリカの古代文明には、他の4つの文明にはない特色があります。それは、いわゆる「四大文明」は多少なりともお互いに文化的接触を持っていましたが、アメリカの古代文明は、長期間にわたり他の文明との交渉がありませんでした。メソアメリカ文明とアンデス文明との間においても、です。つまり、それぞれ独自に発達した文明だったわけです。

 例えば農作物。メソアメリカ文明もアンデス文明も、農業は行われていましたが、南北アメリカ大陸には、ユーラシア大陸に比べて、栽培可能で食用に適した野生植物の数が少なく、また家畜化できる動物の種類も極めて限られていました。

 また金や銀を装飾用に利用することはあっても、農具や武具に鉄器を利用するという文化もありませんでした。これもユーラシア大陸の文明とは違います。

 そうした環境の中で、メソアメリカ文明やアンデス文明は独自の発展を遂げていったのです。