最高成績を残した10年前の主将

 主将である以前に、矢吹とは真っすぐな男である。注目されていることを受け入れ、「期待を裏切らないように」とまい進する。4月に一時期、主将を務めた田野孔誠や副主将の須田優真が、「矢吹にだけ負担をかけさせないように」と支えてくれていることに感謝をしながら、どうしても「自分がやらなきゃ」と、気負ってしまう。

 その気概が、夏の県大会でマイナス方向に作用してしまっていた。

 初戦の3安打を皮切りに毎試合、安打を放ってはいた。だが、勝負どころやチャンスメークでは凡打が目立つ。4打数1安打だった準々決勝が終わった直後、矢吹が珍しくうなだれ、弱音を吐いた。

「どうしたら、打てるんですかね? ……」

 結果は残しているのだ。しかし矢吹は、チームを勢いづける打撃ができない自分を過剰に戒めていたわけだ。

「悩んでいたな、あのときの矢吹は」

 横山部長が回想する。準決勝後、矢吹とふたりでいわき市の海岸へ行ったときのことだ。大海原で感情を解放させ、真っ黒の日焼けした二の腕で涙を拭う主将を、横山部長は何も言わずに見守っていた。

 そんな矢吹の苦悩に触れ、思い出した選手がいた。2008年に主将を務めた黒羽剛広である。2年から中軸を担うほどの強打者は、3年夏の県大会で準々決勝まで無安打と、大スランプに陥った。黒羽は当時の自分をこのように振り返っていた。

「聖光のメンバーは全員そうですけど、キャプテンは特に、絶対に弱みを見せられないと思っていました。キャプテンとしてどんな結果でも納得しちゃいけないんだ、厳しくなければいけないんだって」

 まるで、矢吹の心情を代弁しているかのようである。

 県大会は応援団長としてスタンドから声を枯らし、甲子園ではベンチ入りメンバーとしてチームを支える和田拓朗は言う。

「矢吹は去年の甲子園でも結果を出したしキャプテンでもあるので、チームはもちろんですけど、福島県民からも常に見られる存在なんです。そんななかで、自分のプレーと結果が思うように噛み合わなくて苦しんだ部分も多かったと思います。でもあいつは、苦しんでいる表情もそぶりも見せなかった。チームのことを思っていつも動いてくれました」

 今年の夏、矢吹は県大会で3割6分4厘の数字を残した。主将としても12連覇に貢献したことは明らかだが、決勝戦後の表情は納得というより安堵に近いものがあった。

――苦しかった? そう尋ねると、矢吹は「そうっすね」と頷き、心情を話した。

「苦しかったです。去年、甲子園に出させてもらって、少し結果も出せたと思いますけど、そこから、みなさんに注目されるようになって『やらなきゃ、やらなきゃ』って気持ちばっかりになって、周りが見えなくなったときもありました。でも、ベンチ入りメンバーもスタンドで応援してくれる選手がそんな自分を支えてくれたんで、心が折れずにやってこられたというか。自分だけのためにやっていたら、もっとダメだったと思います」