今年(2018年)は明治元年(1868年)から満150年の年(明治151年、以下「明治150年」)にあたる。明治150年の関連イベントが日本各地で行われており、つい先日の5月26日には鹿児島県鹿児島市で記念式典が行われた。今年のNHK大河ドラマは西郷隆盛を主人公とした「西郷どん」である。鹿児島で式典が開催されるのは当然というべきだろう。
明治150年の関連イベントに関しては、インターネット上に「明治150年」ポータルサイトが開設されている。このサイトを見ると、各地で開催されるイベントのスケジュールやデジタルアーカイブなどを閲覧できる。ところが、政府主催の記念式典は現時点では予定されていないようだ。50年前の1968年には政府主導で「明治百年記念式典」が開催されているが、近年は明治維新に対して否定的な見解も増えてきていることが背景にあるのだろう。
明治維新の評価をめぐってはさまざまな意見がある。だが、「近代日本」の出発点となったことは否定できない事実である。
薩長藩閥政治主導による「近代化」路線の結末が、第2次世界大戦における壊滅的敗戦であったという見解がある。これは、「戦前・戦中」と「戦後」を区分する発想法だ。その一方、日本近現代史は「先の大戦」によっては断絶しておらず、明治維新以降の歴史が一貫して現在まで続いているという考えもある。歴史的事実をめぐる評価はさまざまだ。
前回のコラムでは、明治150年の最初の50年について振り返ってみた。前々回のコラムでは、明治150年の原点である「五箇条の御誓文」について考えてみた。ともに日本近現代史に即したものだが、今回は明治政府が派遣した「岩倉使節団」を通して、英国が主導した「第2次グローバリゼーション」のなかでの「明治150年」の原点について考えてみたい。
(前々回)「近代日本の原点『五箇条の御誓文』が素晴らしい」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53015
(前回)「『明治150年』だから聖徳記念絵画館に行ってみよう」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53112