切なさを感じる心を取り戻したい――そんな思いにとらわれることが時々ある。人生経験が豊富になると、失われるものもある。恋をした時の切ない思いもその一つだ。しかも、失ったことに気づいた途端に、寂しさを感じてしまう。日本人には縁遠い西洋の神話に登場する愛の神キューピッドが日本でもメジャーなのは、おそらく恋愛感情があらゆる人間の心を激しく動かす存在だからだろう。

 人生の転機を迎えたとき、人生を見つめ直すとき、恋をした時の切ない気持ちを思い出してみてはどうだろうか。心を揺さぶる恋愛感情を表現したお薦めのクラシック音楽を2回に分けて紹介する。

ラヴェル 「ダフニスとクロエ」第2組曲

 フランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875~1937年)の「ダフニスとクロエ」は、いつ聴いても切なさに対する感情の扉を全開にしてくれる。全曲で1時間ほど。特に、オーケストラの公演でしばしばプログラムに取り上げられる第2組曲は、期待、喜び、切なさ、けだるさ、高揚感と目まぐるしく音楽が表情を変える。

「ダフニスとクロエ」という物語のタイトルを聞いただけでは、ピンと来ない人もいるだろう。ギリシャ神話なのにキューピッドほど日本人に有名ではないのは、ハートを矢で射るような単純な所作では語り尽くせない内容だからなのかもしれない。

 しかし、実はこの話は日本の小説に翻案されている。三島由紀夫の「潮騒」である。三浦友和と山口(三浦)百恵が主演した映画の記憶が脳裏の奥底に刻まれている方も多いのではなかろうか(吉永小百合や堀ちえみが主演した映画も制作されたのだが、ここでは筆者の思い出をたぐらせていただいた)。それにしても、“純愛”というテーマで映画を制作するのは、意外と難しいのではないかと思う。

 原作の神話も、ギリシャのレスボス島という島を舞台にした“純愛”の物語である。さてラヴェルのこの曲は、島の夜明けの描写で始まる。耳を傾けるべきは、フルート、ピッコロ、さらにはアルト・フルートなどフルート族の楽器群。これらが鳥の鳴き声、ダフニスとクロエの会話などを想像させるさまざまな旋律を奏でる。それらは切なく、そして胸にしみる。何度でもその切なさを感じたくなる。そんな気持ちを起こさせる曲である。

ビゼー 歌劇「カルメン」より「セギディーリャ」

 軽微な罪を犯して牢獄に送られることになったタバコ工場の女工カルメンの護送役の伍長ドン・ホセ。カルメンの色香に参ったホセは2人で一緒に逃げたが、最後はカルメンを刺殺してしまう。ジョルジュ・ビゼー(1838~1875年)の歌劇「カルメン」は、そんな“いけない恋”の物語である。しかし“いけない恋”は、打算のない純愛ゆえのなりゆきともいえる。