大虐殺から23年、歴史教育に直面するルワンダの学校

ルワンダ大虐殺から20年目の4月3日、首都キガリで犠牲者を追悼し「記憶」する炎を運ぶ若者たち。炎のリレーはその後、全国30郡を回って同7日にキガリへ戻った(2014年4月3日撮影、資料写真)。(c)AFP/SIMON MAINA 〔AFPBB News

 産経新聞コラムはルワンダの大虐殺の扇動と同じ――。

 こんな内容の記事が朝日新聞に出たのには驚いた。

 日本で言論の自由はもちろん保証されるべきである。最近の日本のメディア界で盛んとなってきた相互批判も、健全な現象として歓迎したい。だが、そこには民主主義の基本という一定の規範があってしかるべきだろう。

 私は現在、産経新聞ワシントン駐在客員特派員という立場にあるが、攻撃されたのが「身内」だからという理由で反論しているわけではない。現代の日本のメディアの論調を1990年代のアフリカでの民族大殺戮での扇動役に重ねるという朝日新聞の論調がいかに乱暴で間違っているかをここで指摘したい。

産経抄は「扇動」していない

 この朝日新聞の記事とは、11月25日夕刊のメディア面に掲載された「過激な言説には『静かな抗議』を 敵対視にひそむ危険」という見出しのコラムである。筆者は社会部・仲村和代記者となっていた。

「敵対視にひそむ危険」という見出しと本文を合わせて読むと、産経新聞の記事はルワンダ虐殺のような事態を引き起こしかねない危険がある、と主張しているように読み取れる。