日本と「ドイツ」の関係を本質にさかのぼって考えるなら、「高地ドイツ人」こと中欧諸部族だけではなく「低地ドイツ人」ニーダーラントつまり「阿蘭陀」との400年以上にわたる深い関係が、必然的にクローズアップされてくる。
この「低地ドイツ人」ことオランダ人たちが日本にもたらした「プロテスタント・ゲルマンテクノロジー」はどのような特徴を持つのか?
この問題を正面から考えると、現在のEUそして米国、つまり21世紀のグローバルパワーの本質が背景に浮かび上がってくるのである。
イノベーションが可能にしたパワーの逆転
さかのぼって考えてみよう。
1588年にスペインの無敵艦隊が破れ、世界の制海権は徐々にラテン人=カトリックからゲルマン人=プロテスタントへと移っていく。この力の逆転はなんだったのか?
「ラテン人」のグローバル勢力圏がどのような広がりを持ったかを考えるには「ラテン」と名のつく地域が地球上どのあたりに存在するかを考えればよい。
ラテンアメリカは存在してもラテンアフリカという言葉はない。アジアにおけるラテン系地域はフィリピンなどごく一部だ。
つまり16世紀カトリックテクノロジーの勢力域は、欧州から大西洋を渡って南北アメリカ大陸の東海岸に到達する範囲程度だった、と大まかに考えればよいことになる。
これに対して17世紀以降のプロテスタントテクノロジー勢力域は、バルト海から遠くアフリカ大陸を迂回する喜望峰航路でインド、中国の東アジア圏に到達し、東の果ての黄金の国「ジパング」まで及ぶのである。
何がこのような変化を生んだのか?
もともとオランダはスペインの殖民地である。地中海から大西洋の覇者となったラテン人のカトリックテクノロジーが大本になっているのは間違いない。だが北方プロテスタント地域にはそこにない3つの要素があった。