お気に入りのカフェで、いつものコーヒー。手には好きな作家の本・・・。至福の時は「好き」で満たされている。

 あまり激しいと大人気ないが、誰にでも好き嫌いはある。考えてみれば、好き嫌いとは不思議な感情である。

 人生のさまざまな局面で、人はこの感情から逃れることができない。少なくとも「好み」には縛られる。生まれ育った家庭環境、時代や年代、仕事や友達関係、男女関係、社会的な地位などにも影響されるのかもしれない。

自分を自分たらしめるもの

 脳では「偏桃体(へんとうたい)」という部位が情動、喜怒哀楽といった根源的な感情(好嫌、快不快の判断)を司ることが知られている。多くの人が苦手なもの(例えばヘビや高所など)には本能的に恐怖を感じるメカニズムがあるのだろう。

 では、なぜ「好み」は生まれるのか? そして、そこに「個人差」が生じるのだろうか。好みの合う男女を結びつける種の保存のためか? 免疫のように個人を個人たらしめるもの、それぞれの個性を形作るコアエッセンスなのか。大いなる自然の真意は分からない。ただ、重要な意味を持つことは間違いないだろう。

 免疫は、最近急速に研究が進む分野だそうだ。体内に進入する異物を検知し、それを排除する機能はよく知られている。それ以上に、個体を個体たらしめているこの免疫の原理が、個性ある生命を誕生させたり、成長させたり、病気を誘発したり、死に至らしめたりするところまで影響するという。生命の根幹的な原理を司っている可能性が見えてきているようだ。

 まさに体内は神秘の小宇宙であり、かなり高度な複雑系である。だから自分を自分たらしめる「好き嫌い」も、もっと深遠な意味を持つのではないだろうか? と私は疑っているのである。