日本は、先進国の中で初めて本格的な少子高齢化の時代に突入する。最近は、昔ながらのお爺さん・お婆ちゃんの風貌の方々だけでなく、新世代とも言えるやけに若い高齢者層が出現しているようだ。
年齢はここに出る
先日会った転職候補者は40歳前後に見えたが、実際は50歳前後。一方で、ある所で再会した方は、50歳前後なのだが60歳前後に見えた。前者と後者は同じ50歳前後だが、見え方には20歳の開きがある。これは極端な例だが、日ごろエグゼクティブの転職をサポートしている我々プロの眼から見ても、それほど見間違えることがある。人の見方は当てにならないとも言えるし、状況や環境によって人の見え方は大きく変化するとも言える。
私は仕事柄、人の年齢を見分る必要性から一応の判断基準を持っている。それは肌の色艶と、ぼーっとした時の顔の表情の2点である。私も気をつけねばならない。肌色は健康さを如実に表していると同時に、歳をとるにつれてだんだん顔色がなくなってゆくのである。
昔、ぼーっとしてテレビを見ながら、みかんをほおばる杉田かおるさんのテレビコマーシャルがあり、何ともおかしかった。誰からも見られることなく無防備な表情をしていると、それが固定化されてしまう。そこに歳が出る。ただし、それらは一般論であり、老けて見える時と若く見える時の落差が激しいのが「色気」のある人の特徴である、とも私は考えている。人の「見え方」というのは実に興味深い。
その忍耐力はいかほどに
さて、負け惜しみではなく、歳なりの「時熟」はむしろ誇れるものである。時熟とは、哲学者マルティン・ハイデガーの『存在と時間』に出てくる言葉で、この言葉には考えさせられるものがある。私など短気なところがあり、後で後悔することも多いのだが、時熟によって忍耐力が強化され、毅然としているのもなかなか格好が良い。