国会は終盤にきて、憲法審査会で参考人の憲法学者が3人とも「安保法案は憲法違反」という意見を出したことで、波乱含みになってきた。自民党の推薦した長谷部恭男氏(早大教授)が憲法違反との意見を出したことに与野党とも驚いたが、彼の意見は憲法解釈としては常識的だ。

 今回の安保法案の想定している程度の事態は、集団的自衛権を持ち出すほどではないので、集団的自衛権という言葉を削除すればいい。本質的な問題はそんな神学論争ではなく、安倍首相のいう「戦後レジーム」に意味があるのかということだ。

いま憲法改正を急ぐ必要はない

 首相が安保法案を骨抜きにしてまで集団的自衛権にこだわるのは、これを彼の宿願である戦後レジームを清算する第一歩と位置づけているからだろう。その気持ちは分かる。今の憲法が終戦直後にGHQ(連合国軍総司令部)の命令で短期間につくられた暫定的なものであることは、周知の事実だ。

 本来は日本が独立した1952年に、この臨時憲法も改正すべきだったが、当時の吉田茂首相はアメリカの要求を拒否して第9条を改正しなかった。それは当時の日本の経済力では軍事費が負担になったばかりでなく、まだ周辺諸国の警戒が強く、警察予備隊の幹部の半分以上を旧軍の将校が占めるなど、軍閥が復活するおそれもあったからだ。

 岸信介などはこれを批判したが、岸も60年安保で首相を退陣したため憲法を改正できず、池田勇人首相は「所得倍増」などの経済政策に重点を置いたので、憲法は改正できないまま今日に至っている。

 しかし今、憲法を改正しないとできないことはそれほど多くない。岸の時代には自衛隊を憲法で認知して軍備を増強する必要があったかもしれないが、今や自衛隊は世界第5位の戦力をもつ堂々たる軍隊である。

 憲法は日米同盟の障害にもなっていない。今回の安保法案の想定している程度の事態は個別的自衛権で対応でき、むしろアメリカから軍事協力を求められたら「憲法の制約」を言い訳にして逃げられる現状は好都合とも言える。

 もちろんこういうご都合主義は日米の信頼関係を傷つけるので、日米同盟を対等なものにするためにも改正は必要だが、今の国会情勢では望みえない。第9条を避けて「環境権」などを加える改正をするという話もあるが、改正のための改正は意味がない。米軍がアジアから撤退するときに備える必要もあるが、それは中長期の課題だろう。