今回は、東京大学の次期総長に選出された五神眞教授の出身地盤である理学部物理学科と、もう1つの母校私立武蔵高等学校の教育についてお話したいと思います。
実は1つ前の理学部出身の東大総長、有馬朗人教授も高校、大学学部学科ともに五神さんと全く同じ航路を描いています。その1つ前の理学部出身東大総長、山川健次郎(1854-1931)も日本人初の物理学科教授で、かつ東大・京大・九大総長など歴任したあと、旧制武蔵高等学校長として生涯を閉じています。
このように書くと「保守本流」のように見えるかもしれませんが、実はこのルートは日本国内の教育のスタンダードから見るとかなり破天荒な特徴を数多く持っています。例えば東京大学理学部物理学科には就職斡旋のシステムがありません。
就職担当のいない理学部物理学科
少なくともかつては、東京大学理学部物理学科には、学卒段階での就職を斡旋する担当の教員も事務員も存在していませんでした。
むろん、個別の学生がアドバイザーの先生に就職の相談などはするでしょうし、むしろそういう時には私心なく親身に相談に乗ると思います。また企業から人材募集の資料などが事務に送られてきたりもするはずです。もちろん4年で卒業して社会に出て行く学生もいます。
私がここで強調したいのは、そういう細かなことではなく、物理学科には、大学を就職のためのステップとして考えている学生も、教官も、事務官も、ほとんどいない空気であった、という事実です。
私が物理学科に在学していた1980年代当時、1学年は72人でしたが、この時期大学院重点化が進み、むしろ大学院定員が増やされ、学部卒業で社会に出る学生は非常に少なく、大半が修士課程に進み、さらに大半が博士課程に進学しました。