8月31日に予定しているアムステルダム・アンネ・フランク・ハウスとのコラボレーションの初回「きけわだつみのこえ」の企画、幸いご反響をいただきありがとうございます。24日、日曜日の夕刻、アムステルダムから来日したメンバーとわだつみ会の高橋武智理事長、プラザ財団の小中陽太郎理事長はじめスタッフの打ち合わせを行いました。

自由だった頃のアンネが育った団地:アムステルダム南部地区

 「アンネ」と「わだつみ」2つを突然並べると距離を感じる方が多いかもしれません。

 しかし「越境」「旅券」、何より「国家」「戦争」といった途中にある重要なポイントを押さえていくと、まるで星座を見るように、全体像が浮かび上がってくるかと思います。

 幸い少ない座席数が埋まりつつありますが、ご興味の方はぜひお運び下さい

 当日は同時に新しいプロジェクト「アフター・アウシュヴィッツ」のプランの準備がほぼ整いましたので、その発表も予定しています。

 2014年12月、東京都調布市仙川の東京アートミュージアムで、プラザ・ファウンデーションのアンネ・フランク・ハウスとの協働展0回目「アフター・アウシュヴィッツ」を開催、詳細はおってリリースの予定です。

 この12月の期間中に行うライブイベントのコンテンツ化を含め、2015年3~4月の「だれも知らないアンネの命日」展を開催します。さらにまた、そこでの成果を踏まえ、7-8月の「原爆の喜寿」展とコラボレーションの環を広げていきます。

 準備が整い次第、順次お知らせできる見通しです。必ず毎回、委嘱新作初演を含め、演奏のスケジュールが組み込まれますので、どうぞご期待下さい。

飲まず食わずのコンテナ3日

生前アンネが遊んでいた公園には銅像が建てられている
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 さて、かつての私自身もそうだったのですが、とりわけ日本では「アンネの日記」という書物を、何か非常に特殊なものとして見てきたのではないか、という気が、最近してなりません。

 まあ、それは、アムステルダムと行き来が頻繁になり、故人たちをよく知る関係者と詰めたディスカッションを始めたりしたので、当然と言えば当然なのですが、地理的に離れた場所のこととなると、どうしても私たちは過度に簡略化してしまいます。

 アンネ・フランク一家は1944年8月4日、ナチス配下の「緑色警察」に身柄を拘束され、強制収容所に移送されました。一度閉め込まれると、いったい何時どこに到着するかも分からぬまま、貨物を輸送する真っ暗なコンテナの中に入れられっぱなしです。

 アンネたちの場合、まずオランダ国内の収容所に集められたあと、一家族ごとにまとめられ、3日3晩飲まず食わずの状態で、真っ暗なコンテナの中に詰め込まれての移送、到着したのがアウシュヴィッツだったわけです。

 強制収容所に関連する個々のドキュメントを見ていくと、一つひとつの細部があまりに酷く、言葉を失います。