台風11号の影響から2日遅れで開幕した全国高校野球選手権大会。夏の風物詩とも言えるその熱戦を、お盆休みで帰郷し家族でテレビ観戦している方も多いのではないだろうか。
69年前の8月15日正午、敗戦を知った日本国民
そんな熱き戦いも8月15日正午になると中断、サイレン鳴り響くなか、1分間の黙祷が捧げられる。
1945年8月15日正午、玉音放送から国民は「敗戦」を知った。手元にある教科書、山川出版社「詳説日本史改訂版」(2002年発行)によれば、
「政府と軍首脳部は御前会議で、昭和天皇の裁断によりポツダム宣言の受諾を決定し、政府は14日これを連合国側に通告した。
8月15日、天皇のラジオ放送で戦闘は停止され、9月2日東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で日本政府および軍代表が降伏文書に署名して、4年にわたった太平洋戦争は終了した」(335ページ)ということになる。
しかし、そのわずかな時間の推移のなか、「終戦の日」が先に延びかねない事態が進行していたことを『日本のいちばん長い日』(1967)は語る。
降伏に反対する一部将校が宮城(皇居)を占拠、玉音放送の録音盤を奪おうとする「宮城事件」などが起きていたのである。
このクーデター未遂事件は、小泉八雲を敬愛する知日派として知られたボナー・フェラーズが、ダグラス・マッカーサー指揮のもと戦争責任を検証していく姿を描いた『終戦のエンペラー』(2012)でも重要な事件として描かれている。
歴史的事実と推測、フィクションが混在する『終戦のエンペラー』は、「3月10日、東京は世界最大の火葬場と化した」との言葉とともに焼け野原となった(作り物の)東京の姿を映し出す。
もし、よりリアルな姿を見たければ、終戦間もない現実の焼け野原の東京で撮られた『東京五人男』(1945)がある。