ジャン=ポール・ゴルチエ(現在62歳、最近の日本語インタビューはこちら)といえば、マドンナの衣装や映画の衣装も手掛けることで知られるフランスのファッションデザイナーだ(Jean Paul GAULTIER 公式サイト)。
フランスの「ファッションオスカーアワード」受賞(1987年)や、フランスの芸術・文化分野のプレス関係者が選ぶ「クリスタルグローブアワード」最優秀ファッションデザイナー賞受賞(2006年と2011年)などに見られるようにフランスで絶大な人気を誇り続け、ファッション界のオスカー賞と言われるアメリカファッション協議会の「CFDAファッションアワード」国際賞も受賞(2000年)するなど、まさに世界に名をはせている。
現在ロンドンでは、8月中旬までゴルチエの展覧会「From the Sidewalk to the Catwalk」が開催中で、また注目を集めているが、ゴルチエがファッション界で頭角を現した初期、彼を支えていた日本人女性がいた。
日本でお針子をしていて、パリでキャリアを積み始めていた稲葉重子さんだ。「パリで研鑽を積めば、日本に帰って何かの役に立つだろう」と軽い気持ちでパリにやって来た稲葉さん。ところがゴルチエの右腕となって働き、ゴルチエから独立してパリで自分のブランドを立ち上げ、遂にはコレクション(ファッションショー)の常連になるという大躍進を遂げた。
70代後半の稲葉さんは、いま絵を描くことに情熱を注いでパリで優雅に暮らしている。日本を離れて、自分が大好きなことを海外で実現するのは珍しいことではなくなったが、47年も前にパリへ行って描いた1人の女性の夢物語を聞くのは、また楽しいもの。ご自宅で、稲葉さんのファッション人生について語ってもらった。
天才的才能を持つゴルチエから、いつの間にか学んだ色彩感覚
稲葉さんは、さすがは元ファッションデザイナー。普段着とはいえ、とても華やかな装いで出迎えてくれた。独立して引退するまで、パリに構えた自身のアトリエ「I.S.M INTERNATIONAL STYLE ET MODELE」で働いた。コレクションで毎回新作を発表し、日本の著名なアパレル企業を中心に洋服のデザインを多数提供し続けた。
「日本に一時帰国したときは、1日に10件とか企業と約束があって、地下鉄であちらからこちらへと飛び回っていたわ。いま考えると本当によく動いたわ。若いからできたのね」
稲葉さんはそう言って、笑みを浮かべる。したいことはやり尽くしたという満足感があったため、キッパリと引退した。以降は1着も作っていないそうだ。そのため、残念ながら手がけた作品の実物を見ることはできなかったが、部屋に飾られた絵からは、稲葉さんの卓越した創作のセンスがうかがえる。