グローバル社会のルールは決して不変ではない。ルールはグローバル社会の発展と変化に伴って少しずつ変わるものである。いつの時代も同じことだが、強者が自らにとって有利になるように作り変えてしまうのだ。
冷戦時代のグローバル社会のルールは統一されたものではなく、東西に分かれていた。旧社会主義陣営では、旧ソ連を軸にしてその秩序が形成されていた。旧西側陣営では、米国が秩序の形成に重要な役割を果たしていた。
1990年代初期、旧社会主義陣営の敗北によって冷戦が終焉した。それ以降、グローバリゼーションが急速に進展した。グローバル社会の新たなルールは西側陣営を軸に作られた。敗北した旧社会主義陣営が西側陣営のルールに心の底から従っているわけではない。敗者として仕方がなく従っているだけである。
鄧小平の「韜光養晦」はもう聞こえない
中国の場合、あへん戦争以降のこれまでの約170年間のうち、「改革開放」政策の三十余年を除いて約140年間は先進工業国に負け続けてきた。中国にとって、グローバル社会のルールに正義などなかった。それは、侵略と蹂躙の道具でしかなかったのだ。
毛沢東時代の中国では、近代史上、中国人が西洋人に「東亜病夫」(東アジアの病人)と呼ばれていることが学校で教え込まれた。中国でナショナリズムが台頭しているとすれば、その根っこは毛沢東時代の歴史教育にある。
ただし皮肉なことに、毛沢東時代の中国では、食糧不足が続き、痩せ細った子供が多かった。当時の中国人は西洋人の傲慢さに怒りを覚えていたが、同時に、たくさんの痩せ細った子供を目のあたりにして、西洋人の言う通りではないかと思わざるを得なかった。