米アマゾンの「キンドル(Kindle)」、米アップルの「アイパッド(iPad)」と続く新たなる端末機器のヒットで電子書籍に注目が集まっている。どこにいてもその場で本が購読できるというのは、読書好きにとってはたまらない革命的事件である。
デジタル化が招くデータの改竄
しかし、それもインターネットにアクセスできるのが必須条件。端末が扱えるかどうかという個人的能力からブロードバンド環境の完備といったインフラ状況に至るまで、紙の書籍にはなかった壁が新たに生じるとの懸念もある。
新しい機器を趣味的感覚で扱える人はいいのだが、道具として使うだけの者にとっては、あまりいろいろなものが出現するのは負担になるだけでもある。
電子データだけでそれを印刷した物が手元にないと、自分の記憶が正しいという確証が持てず、不安で仕方がないということもある。自分の知らないところで、いつのまにかデータが書き換えられてしまえばどうにもならないじゃないか、という感覚である。
しかし、国家自らがデータを書き換えてしまうということになると、人間の記憶や意識など何の足しにもならないというのが、昨年来、村上春樹の『1Q84』のヒットから再顧されているジョージ・オーウェルのディストピア小説『一九八四年』である。
歴史の記録や写真といった過去の事実を、現在の支配者「ビッグブラザー」の都合のいいように書き換えてしまうのである。
時代とともに解釈し直されるのが歴史というものの本質ではあるが、コンピューターの世界ではごく当たり前に行われる「アップデート」という行為が、一つ間違えると過去の完全なる改竄へと向かうという恐怖がそこにある。
オーウェルはインド生まれの英国人で、若い頃はビルマなどの英国植民地で働き、帝国主義を体感してきた。
既に作家活動を始めていた1930年代にはアーネスト・ヘミングウェイなどとともにスペイン内戦の義勇軍に参加、独裁者フランシスコ・フランコのファシズムの実態ばかりか義勇軍の主体たる共産党軍の腐敗をも経験したことが、この「ビッグブラザー」なる独裁権力体の創造につながったのだろう。
『1984年』の執筆を手がけた1947年から48年にかけては、冷戦構造が顕著となってきた頃でもあった。第2次世界大戦後、ドイツは戦勝国・米英仏ソの4カ国で分割統治されていた。