7月15日夕方、ふだんはひっそりとしているソウル中心部に近い高級住宅街にある豪邸前は喧騒に包まれた。高級乗用車が次々と到着する。そのたびに門の外で待機していた報道陣が降り立つ人物を確認して大声で呼びかける。
サムスングループの戦略が練られる迎賓館
この豪邸の名称は承志園。サムスングループの創業者である李秉喆(イ・ビョンチョル)氏の住居だった。1987年に後継会長となった3男の李健熙(イ・ゴンヒ)氏が自分の執務室も兼ねるグループ迎賓館に改造した。
李健熙氏はここで内外の要人と会い、グループ企業の社長を集め戦略会議を開く。時に、何日間もこもり、経営戦略を練ることもある。20年以上にわたってこの豪邸で、サムスングループの最高意思決定が下されてきた。
この日、李健熙氏は、日本の経団連に相当する韓国の全国経済人連合会(全経連)の副会長を務める経済界トップたちを承志園の夕食会に招待した。
崔泰源(チェ・テウォン)SKグループ会長、鄭俊陽(チョン・ジュンヤン)ポスコ会長や大韓航空などを傘下に持つ韓進グループの趙亮鎬(チョ・ヤンホ)会長、重光昭夫ロッテグループ副会長のほか、ハンファ、斗山、コーロングループの会長など15人あまりが承志園の中庭に午後6時半に集まり、シャンパン「クリスタル」を片手に談笑しながら夕食会が始まった。
サムスングループと李健熙一家を巡る不正資金疑惑などで告発され、その後、脱税などで有罪となり経営からも財界活動からも離れていた李健熙氏は昨年末、李明博(イ・ミョンバク)大統領による特赦を受け、対外活動を再開させていた。
全経連会長が突然の辞任を表明
特赦の理由は、韓国の悲願である冬季五輪誘致を成功させるためには、IOC(国際五輪委員会)委員でもある李健熙氏の活動が欠かせないということ。これについては以前、「バンクーバー五輪、影の勝者はサムスンだった」の記事で紹介した。財界も強く特赦を求めていたのである。
李健熙氏は、今年3月にはサムスン電子の会長にも復帰、本格的に活動を再開させていた。この日は、全経連の副会長である財界首脳に、特赦に際してのお礼と、復帰の挨拶をすることが目的だった。
サムスングループによると、多忙な財界トップの日程を合わせるため、夕食会は5月に決まっていた。だが、この間、予想しなかった事態が発生してしまった。
今月初めになって、この日の夕食会のゲスト代表となるはずだった全経連会長の趙錫來(チョ・ソンネ)・暁星グループ会長(74)が「健康上の理由」で突然、全経連会長の辞任を表明したのだ。