9月末に台北で政府系シンクタンクとシンポジウムを行い、10月半ばには東京で馬英九政権に近い人物と懇談する機会があった。
現在2期目の馬英九政権は、事実上任期最終年となる2015年が次期総統選挙のため、思い切った活動ができない。だとすれば、総統として存分に活動できる期間は残り1年強だけである。その間における馬英九政権の対中政策はどのようなものになるのか。
経済関係の深化は進めたが政治関係は後回しにしてきた中国との関係に、何らかの突破口を開くことができるのか。その場合の内外の反応はどうなのか。
今回は、台湾の現状について感じるところを述べることにしたい。
中台関係の改善が日台関係に与えた影響
まず確認しておきたいのは、2008年に馬英九政権が台湾に成立して以来、急速に中国との関係改善を進めてきたことだ。「三通」(通商、通航、通郵)が2008年末には実現し、中台の自由貿易協定に相当する「ECFA」(経済協力枠組み協定)も2010年9月に発効した。
結果として台湾における中国人のプレゼンスは極めて大きなものになった。2012年には200万人を超える中国からの観光客が台湾を訪れ、彼らを運ぶ中台の直行便は週616便にまで増えた。台湾の観光地はどこも中国人観光客が幅を利かせている現実がある。
こうした台湾海峡両岸の関係改善が、実は日本の台湾政策における自由度を高める結果となったことは強調しておきたい。
中台関係が緊張していた国民党の李登輝総統の時代、その後を受けた民進党の陳水扁総統の時代においては、「中国は1つであり、台湾は中国の不可分の領土である」とする中国の強烈な反発を恐れて、日本政府は台湾との関係を「敬して遠ざけていた」と言っても過言ではない。しかし、事実上「1つの中国」を受け入れる「92年コンセンサス」を対中政策の基本とした馬英九政権が中台の関係改善に踏み込んだことによって、日本政府は中国への配慮を軽減することが可能になったのである。
その実例として、例えば2011年9月の日台投資保護協定の締結がある。また、日本に長期滞在する台湾人の日本における在留カードの国籍記載が、従来は「中国」であったところ、2012年7月から「台湾」に変更されたことが挙げられるだろう。来年には東京の国立博物館と九州国立博物館で「台北・故宮博物院展」の開催も予定されている。中台関係が厳しいままであったなら、こうした実績は作りようもなかっただろう。